「私は大丈夫だから…」は本当に大丈夫?
大なり小なりこういったことが女性には降りかかりますが、なかにはそういった扱いも特に気にならないという女性もいます。性被害ではなく、些細な扱いの程度や考え方で気にならないといった場合です。
たとえば前項の男性のみ受けられる研修のカリキュラムについても、キャリアアップを求めない女性ならば問題ないでしょう。むしろ面倒な研修や出張をせずに済んでラッキーと思うかもしれません。
しかしここで一旦立ち止まり「私は気にしないけれど、ほかの人にとってはどうだろう?」と考えてみてほしいです。これは括り方が異なってしまいますが、僕がLGBTQ当事者としても思う共通した考え方でもあります。
繰り返しになりますが、僕は「性自認が女性ではない身体女性」です。心の性や性自認は女性でも男性でもありませんが、身体の性が女性で女性用の更衣室を利用してきたので、今後も女性更衣室を使用したほうが安心だと感じます。
一方で僕と同じように、身体は女性だが性自認が「女性ではない」かたのなかには、男性の更衣室を使用したいかたや、男女どちらの更衣室も使いたくないというかたもいます。
どの要望がよいとか悪いということはなく、一言でセクシャルマイノリティといっても、性自認の違いやその人が何に当てはまるかで抱えている悩みや課題、要望が異なるのです。
なので、「僕が身体の性に合わせた更衣室がいいと思っていても、ほかのマイノリティ当事者ではそうではないかもしれない」と考えるようにしています。
女性の生きにくさを考える際も、同じ女性でも感じ方やパートナー、お子さんの有無など置かれている立場や環境、考え方は誰一人として同じ人はいないという前提でいたほうがよいように感じます。
自分がされて大丈夫な扱いや言われて大丈夫な言葉でも、自分以外の女性には傷ついている人がいるかもしれないと考えたいものです。
男性の生きにくさ
僕の身体は男性ではないし、社会的には女性として扱われているので、本当の意味で男性の生きにくさを実感を持って理解することはきっとできないと思います。しかし、考えることはできます。
僕がある男性にカムアウトした際、「彼女とどういう風にセックスするのか」と聞かれたことがありました。本人からすれば単純な疑問だったのかもしれないし、彼は男友達にいわゆる下ネタも話すようなタイプだったので、ほかの男友達に話すような感覚だったのかもしれません。
僕を比較的男友達として扱っていたほかの男性にも、「彼女以外の女の子とも“遊んだほうがいい”」と冗談半分にすすめられたこともことがありました。
人によるという要素があまりに大きいかもしれませんが、どちらも男性同士の会話には珍しくない言葉のように感じます。
どちらの会話もカムアウト前にはなかった扱いや発言で、「男友達」という輪に僕を入れたからこその発言のように思います。友人として親しみを込めてくれるのは嬉しいけれど、正直いい思いはしませんでした。
前述のキャリアアップを強制的に求められる部分も、もし自分が男性だったと考えると辛いなと思います。男性なら出世しなければ、結婚したなら、子どもが生まれたなら…と、常にキャリアアップを求められ続けているようにみえます。
男性の育休制度が勤め先にできたとしても、周囲が取得しないから制度を利用しにくかったり、復帰後のキャリアを考えると利用しにくいといったことも考えられます。
「働き方を改革せよ」という社会の雰囲気になって制度だけつくっても、利用しにくい・出来ない制度はないのと同じではないでしょうか。そう考えると、働き方の選択肢は女性だけではなく男性もまだまだ少ないように思います。
性や彼女、パートナーにまつわる「男らしさ」と社会的に求められる「男らしさ」。それを目指さない男性にとっては生きにくいだろうし、僕が男性であってもそれらをあまり求めないタイプだろうと思うので、常に求めら続けられたらきっと嫌です。
おそらくそれ以外にも「男なんだから」は年齢問わずいろんな場面で求められていて、苦しい思いをしている人たちがいるのではないでしょうか。
「女性も辛いだろうけど、男性も辛い」という意見が出るのは当然のことです。だから僕はフェミニズムや、ほかのさまざまな女性の権利なども含めた「女性の生きにくさ」を解消してほしいと願うのと同時に、別途男性の生きにくさの解消も絶対に必要だと考えます。
「男性の生きにくさ」は女性から男性への扱いも含まれることを考えると、どういうことが辛いのかもっと声を上げて教えてほしい。身体女性のことが身体男性にわかりにくいのと同じように、男性にしかわからない生きにくさはたくさんあると思うのです。