こんにちは、椎名トキです。僕の身体は女性ですが、心の性は定めていないセクシャルマイノリティです。
LGBTQ当事者としてこうして文章を書かいておりますが、LGBTQ以外に身体が女性であるという“女性を取り巻く問題の当事者”という側面も持っています。
性自認は女性と決めていなくても、カムアウトしていない相手からみた僕の性や、社会、医学的にみた性が女性であることから女性として扱われるので、僕は「女性の生きにくさ」の当事者です。
きょうは性自認が女性ではないセクシャルマイノリティである僕から見た「女性の生きにくさ」「男性の生きにくさ」について書いていこうと思います。
もしかしたら読み手であるあなたと違う意見があるかもしれませんが、あくまで僕の意見として読んでいただけたら嬉しいです。
身体女性として感じた恐怖
2021年、世界経済フォーラムが男女の格差を測るジェンダーギャップ指数の最新報告を発表。この調査のなかで日本は156カ国中120位、G7では最下位という結果でした。
SNSが普及したことにより、最近ではフェミニズムの運動に興味を持たない人の目にも映るようになり、一般企業でも「女性活躍」を目指すようになりました。…が、この順位なのです。日本はやっとスタートラインに立った、そんなレベルなのかもしれません。
そんな日本で僕は女性の身体で生まれ、成長し、暮らしてきました。体験を踏まえて言わせていただくと、女性の身体でいるというだけで度々嫌な思いをしてきました。
高校生のころアルバイトをしていた飲食店で、酒に酔った男性客から卑猥な言葉を冗談としてかけられたり、女性のヌード写真を見せられて感想を問われたりしたことがありました。
大学生になると電車で痴漢の被害にあったり、ホームの端から端まで追いかけられたり、ワザとぶつかる人の標的になったことも。人気のない白昼の公園で露出狂に遭遇し、捕まえてもらったなんてこともありました。
こういった被害は、性自認が女性ではなくてもとても怖いです。力では男性に敵わないし、なによりそういう行為に及んでも「勝てる」「仕返しされない」と相手に思われている対象であることが怖い。
世界的にみて治安がいいイメージがある日本においても、夜道に気をつけない女性は少なく、「そんなに気をつけていない」と言うかたでも多くは無意識下で最低限気をつけているのではないでしょうか。
僕が身体男性の置かれる境遇を、本当の意味で実感を伴った理解をすることができないのと同様に、なかなか男性にはこの危機感や恐怖はわかりにくいと思います。
性被害以外であったことも紹介しましょう。僕は2010年代前半に社会人になりました。
いまはLGBTフレンドリーの企業への就職活動もできますが当時はそういうものはなく、誰にもカムアウトせず入社。いまも公には女性として勤務しております。
入社当時は、男性優位と感じる扱いが多々ありました。
いまはすでに改善されたものもあるという前提でお聞き願いたいですが、たとえば「男性はゆくゆくは出世するから必要」として僕と同じ職種で入社した同期のなかで男性のみが参加するカリキュラムが別途用意されていたり、社内でのキャリアで経験しておいたほうがいい出張を伴う業務も、女性の参加は不要とされていました。
これは男性本人が求めていない場合でもキャリアアップを強制的に求められていると考えると、大変だと思います。しかし同時にキャリアアップを望んでいる女性は、学ぶ機会を男性よりも用意されていないという見方もできます。
それ以外にも些細なことですが、男性社員が出張や旅行へ行ったお土産は、「これ配っておいて」と女性社員の手に渡り「○○さんからです」とそれぞれに配るという習慣も、入社時まだ残っていました。
いま考えれば「自分で配ればいいのに…」と思ってしまいますが、社会人になりたての僕は会社とはそういうものなのだと受け取っていました。