先日、高校時代の友人たちとタイムカプセルを埋めた。「20年後、50歳になったらまた開こうよ」と、私が発案したのだ。
30歳になるいまの自分たちを手紙にしたため、思い出の写真やプリクラを缶にどんどん入れていく。未来を想像し、ワクワクする気持ちがあふれてくる。「こんな自分になっていますように」そんな夢を込めて。
そんなとき、思ったのだ。「アオハルかよ」と。
あなたの青春は、いつ?私は現在進行形だ
若くハツラツとした青年期を指す言葉として使われている「青春」だが、果たしてそれは学生時代のことだけだろうか?若くてフレッシュな時代を指すのなら、いまだって青春真っ盛りだ。
デジタル大辞泉で調べたら、青春のページにこんなフレーズが乗っていた。
夢や希望に満ち活力のみなぎる若い時代を、人生の春にたとえたもの。青年時代。
引用元:コトバンク
なるほど。じゃあなんなら、この先10年経っても私は青春を生きていると思う。
ところで、ゲッターズ飯田さんの占い「五星三心占い」をみなさんはやったことがあるだろうか。
私は「銀の時計座」なのだが、心が高校1年生のままなんだそう。子どもっぽいと言われたら「なんだって?」と苛立つ人もいるかもしれない。
しかし私は「あ、なんかわかる気がする」と納得してしまった。外見だけはしっかり老けてきたのだが、中身は学生時代で止まったままなのだ。
青春は、自分が自分らしく生きられる時間
高校時代の友人と一緒にいると、よく学生時代を思い出す。かなりくだらないことでゲラゲラと笑い、なぜか翌日全身が筋肉痛になっている。
先日は「ジャンピンポピラ」という玩具を引っ張り出してきて、子どもたちと一緒に1時間ほど笑いながらやった。その動画を見るたびに腹がよじれる思いをする。
高校時代の友人たちは、それほど笑い、アクロバティックな時間を過ごせる大切な存在だ。彼女たちといるとき、私は毎回青春を感じている。「アオハルかよ」、まさにその言葉がぴったりなのだ。
私は彼女たちの前だと、いつでも青春を感じられる。あのころの自分が戻ってくる。大人という「肩書き」にとらわれず、自由な自分として生きられるのだ。タイムカプセルを埋めたときに改めて思った。いまでも青春できる友達がいてくれて、本当によかったと。
振り返れば、学生時代のころの経験がいまの私を作っていると言っても過言ではない。あのときの楽しさや苦しさ、悔しさや達成感が、ここにいる「現在の青春」を作っているのだろう。
いま、こうして好きな仕事に携われているのも、大切な友達とバカみたいに笑えるのも、その土台を作っている要素のひとつは「学生のころの青春」なのだ。