合唱コンクール、それは私にとって胃が痛くなるイベントだった
いまも青春を生きていると私は考えているのだが、やはり過去は戻ってこない。学生時代に味わった、あのコバルトブルーの青春はもう手元に存在しない。あるのは、いまの青春だ。色を言葉で表すとするならば、秋の空だろうか。
ひとつ、私の青春エピソードを紹介しよう。
中学校の3年間、私は合唱コンクールで指揮者を務めた。あのときは「絶対合唱コンクールで最優秀賞をとるぞ!」という夢にあふれていた。宣言通り、私のクラスは3年間ともすべて最優秀賞に輝く。
ただ、簡単に賞が取れたわけではない。毎年ドラマがあった。あのドラマは、大人になったいま、もう2度と生まれないと思う。
なかでも3年生のときはクラスメイトの気合いの入り方も違った。
2年間指揮者を続けていたので「やっぱり指揮は横山(筆者)しかいないと思う」と、推薦してくれるクラスメイトも増えた。伴奏の子も「私たちペアなら最優秀賞ぜったい取れるよ」と言っていた。
ただ、指揮者として立候補した人がもう一人いた。結局その彼は投票で指揮者になれなかったのだが、これがまぁ、恨みを買った。
練習が始まると、やる気のある私たちと彼を取り巻く男子たちとの温度差が歴然だった。「やる気ないなら、合唱コンクールに出なくていいよ」と、担任がその男子に言うほどだった。
ここで何が起きたか、想像つくだろうか。
なんとやる気のなさがどんどん伝染していったのだ。これでは練習にならない。イライラする人とやる気のない人でぶつかり合い、クラス全員を巻き込んだ大喧嘩になることもあった。クラスが崩壊していく。
この時点で、本番まで1週間を切っていた。
幸い音楽の授業では練習せざるを得ないので、全体練習はちょこちょこと進めていた。しかし音楽の先生に「今年はどうしちゃったの?」と不思議がられるほど、昨年の最優秀賞の輝きはなかった(私の学校は2年生と3年生の間にクラス替えが存在しない)。
夢と希望に震える、私たちは前を向く
そんなとき、クラスで話し合う機会があった。「やる気がないなら、辞退しよう」という担任。私は指揮者として、意見を求められた。
「私、たとえ完璧じゃなくてもいいから、合唱コンクールに出たい」
「最優秀賞なんて、とれなくてもいい。でも、最後だから、喧嘩して終わるのはイヤです」
「だからお願いします、少しだけ手伝ってください」
頭を下げた。時間が、長く重く感じた。大嫌いな中学生活だったけれど、後悔して終わるのはイヤだった。
どこからか「私もそう思う、お願いします」と声が聞こえる。女子が次々に立ち上がり、男子に頭を下げていた。そのうち男子も「やろうぜ!」と声を上げる。
すると、指揮者ができなくなったことでやる気を喪失していた男子が近づいてきた。「ぜったい最優秀賞、取ろうな」って。
夢と希望に震えていた。時間がないという絶望なんてどこにもなかった。「もうやるしかないじゃん、私たち最後なんだから」と、立ち上がったのだ。
それから本番まで練習を続けた。ほかのクラスに「いまさら?」だなんて笑われても、私たちは夕日が差し込む教室で練習を続けた。
そのうち職員室から先生たちが出てきて拍手をしていくほどになった。ドアを閉めていても、廊下が震える。「3年ってやっぱ、レベル違うよな」と、後輩に言われたこともあった。
そして本番で歌いきった後、誰もが涙を流していた。最優秀賞なんてとれなくてもいいんだ、いま全力で青春を過ごしたことが、もうそれがすべてなんだ。
あのときのがむしゃらな時間が「青春」に花を咲かせてくれた
結局いろいろあった3年生でも最優秀賞をとれたのだが、その過程に至るまでのドラマが感動をより増大させた。もうこれで卒業でもいいかもしれない、それくらい震える瞬間だった。多分人生のなかで、あの青春に勝るほど大きく感動した瞬間は未だにない。
そのとき歌った曲をいまでも思えている。
『花をさがす少女』
美しい花を探す少女に迫りくる、戦争の音…。美しい音色とは裏腹に悲しい運命が襲う、そんな歌だ。その少女は「ブーゲンビリア」を探していた。しかし見つけることができず、いまもまだどこかをさまよっているかもしれない。
ブーゲンビリアの花言葉を知っているだろうか。恋を思い出させる熱烈な言葉が並ぶ中、「情熱」という花言葉がある。
私たちはこの歌を作り上げていくなかで、たしかに情熱と出会った。そして胸にブーゲンビリアを抱きながら、夢をめざして立ち上がった。少女が見つけられなかった花は、私たちの青春のなかで咲いたのだ。