仕事の優先順位とは
「え、何でまだできてないの?」
梨沙は率直に驚き、後藤に尋ねた。きょうは、来週新たなクライアントに持参する資料を確認する締切日だった。
資料の作成を後藤に任せ、ときどき進捗も確認していた。資料が送られてこないことに疑問を抱き、さっき後藤とオンライン通話をつないだところだ。
「できていないっていうか…一回仕上がりかけたんですけど、ちょっと違うかなと思ったので消して、まだ見せられる段階じゃなくて」
それを「できてない」って言うんだよ。梨沙は喉まで出かかって、こらえた。
「でも、締切はきょうだよ?」
「あー、はい。すみません…やらなきゃと思っていたんですけど、ほかの業務で手一杯になってしまって」
「間に合わないなら、事前に相談しないと」
「はい」
クライアントとの打ち合わせは来週だし、まだ時間はある。ただ、早めに確認を入れておいたほうが、修正も事前の準備も十分にできるし、対策も立てられる。まだ完全に一人で任せられる段階ではないからこそ、チェックが必要なのだ。
「じゃあ、あしたまでに仕上げられる?」
「えーっと、はい。たぶん、大丈夫です」
「たぶん」じゃないだろ。そもそも締切はきょうなんだよっ。梨沙は怒鳴りたい衝動に駆られるが、「ハラスメント」扱いされてはたまったものじゃないので、なんとか気持ちを落ち着かせた。まったく、叱ることもままならない。
「わかった。これからは、締切は必ず守ってね。今回は社内だからまだよかったけど、これがお客さん相手だったら、それで契約切られちゃうこともあるからね。もし間に合わなそうなんだったら、締切が来る前に早めに相談すること。それは、絶対に守ってください」
「はい、わかりました。すみませんでした」
内心どう思っているのかわからないが、画面越しの後藤は一応、神妙そうな顔をしていた。
後藤とのオンライン通話を切ってから、梨沙は自分が若かったときのことを思い出していた。これが梨沙のときだったら、相当厳しく怒られただろう。
約束を守れないなんて社会人として論外だ、とか。言われたこともできないのか、学生から出直してこいとか。相当、きついことを言われたに違いない。
なんか、危機感が足りないんだよな。梨沙は思う。資料のことだって、梨沙が働きかけなかったらどうなっていたんだろうと、ぞっとする。途中のままの、空白だらけの資料でも渡すつもりだったのか。
夕方になり、チャットツールのスレッドをチェックしていると、若手チームがやっている自主プロジェクトの進捗が目に入ってきた。短い動画を作成してサイトにアップし、顧客に訴求するというものだ。
「先週まで弾丸で撮影、昨日までで編集完了。再生数アップを目指してがんばります!」
メッセージに添えられた写真には、複数の若手社員が写っていて、そこにはガッツポーズをする後藤の姿もあった。スレッドには、多くの拍手マークのスタンプが押されている。
おいおい。梨沙はうんざりした。これやるなら、資料作る時間、絶対あったじゃん。上司に頼まれた仕事より、自主プロジェクトが優先なのか。
梨沙は、内心呆れてしまった。しかも「定例会議はオンラインのままでいい」とか言っといて、同期とは集まってるし。
もちろん、人から頼まれたり任されたりした仕事は、自分のやりたいことばかりじゃないのは当然だ。梨沙だって、そんなに気乗りしない仕事とか、いまひとつやる気が出ない業務だってある。でも、そうであってもやりきるのが、社会人なんじゃないか。
会社は若手の「チャレンジ」を支援しているし、梨沙のときよりも、若い子たちが大切に扱われていると思う。でもそれが「自分のやりたいことばかり優先させる若者」を生み出しているような気もする。
なんかもう、やってらんない。梨沙は、スマートフォンのメッセージ画面を開いた。