ぼくは、ぼくだけのもの
なにもかもが馬鹿馬鹿しかったあの夜から3年が経ったいまもなお、父は変わらぬままだ。だったらいま、あの男に突きつけてやりたい。
ぼくはもうすでに、まるごとぜんぶぼくのものだ。かつてはあんたの所有物だったのかもしれないけれど、そんな時代はとうに終わった。
猫のタトゥーの意味は、商売繁盛と、それから魔除け。赤眼の猫の恩恵で、ぼくはものを書いて食っていけるようになった。そのお金で、ぼくはぼくの「正しい体」を手に入れる。そしてあの男を、ぼくの心身を食い潰す魔物を、永久にぼくの人生から追放する。
ぼくをこの世に生み出した人間の片方だからといって、ただそれのみでぼくの「父親」になれると思っているのなら、思い上がりも甚だしい。あの男が真の意味でぼくの「父親」だったことなど、これまでただの一度もなかった。
あの男はいったい、なにがしたかったのだろう。人種差別と必死で闘い、猛勉強して最高学府に入学し、死に物狂いで弁護士としての地位を築き上げ、最終的にその手のうちにはなにが残ったのだろう。
自らを虐待サバイバーだと認めることもできず、親からの加害を正当化するために子を折檻(せっかん)する、臆病でヒステリックな暴君のまま、彼は人生の折り返しをとうに過ぎた。
その結果、我が子ふたりからは、後を継いでもらぬばかりか、自らを存在ごと切り捨てられてしまった。
それでもなお、子どもからの敬愛の眼差しを諦められない。己の罪を直視せず、向き合う勇気すら持てず、大切なものをなにもかも取りこぼしたまま、老いていくのか。
「毒親」という言葉に対し、「親御さんが悲しむよ」「親不孝だ」なんてもっともらしいお綺麗な非難を飛ばす人もなかにはいる。
けれどもぼくは、思うのだ。敬愛の念は、努力で培えるものじゃない。注がれた無償の愛情を養分にして、自ずから人のうちで育まれていくものなんじゃないか。
親であっても、捨てていい。これからのぼくは、父親を死んだものと思って生きていくつもりだ。自分の尊厳を踏み躙り、人間らしい生活から遠ざけ、命の危機に晒す人間を、無理に「親」と呼ぶ必要はない。
それでも被虐待児は、そして虐待サバイバーは、親の愛を乞うてしまう。ぼくが母を見捨てきれぬように、「自分が薄情なんじゃないか」と自責の念に駆られてしまう。
だからこそぼくは、理不尽に傷つけられた人が持たなくていいはずの罪悪感に囚われて、身動きできなくなってしまうのなら、その必要はないのだと繰り返し叫ぼう。
ぼくは、ぼくだけのものだ。あなたも、あなただけのものだ。ぼくたちはだれにも魂を売り渡してはいけないし、だれにもこの身を支配させてはいけない。
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