「女の子」みたいな名前は、自分にふさわしくない。そう思い始めたのは、いつからだったろう。思い出せないほどに、ぼくは物心つく前からはっきりと「女の子」ではなかった。
思春期を迎えてから、徐々にその気持ちの輪郭はくっきりと明確になっていった。「男性」になりたいんじゃない。でもぼくは確実に、「女性」ではない。膨らみ始めた乳房は異物で、月経は間違って搭載された機能に過ぎない。
ぼくがなりたかったのはいつだって、竹宮惠子『風と木の詩』のジルベール・コクトーのような、美しくて可憐な「少年」だったのだ。
やがて成人したあと、自分の性の在り方は「ノンバイナリー」に該当するのだと知った。
男女どちらの枠組みにも、ぼくの心は当てはまらない。男女のエッセンスがそれぞれ1、2滴ずつ入っている、限りなく無性に近い両性。それが、「ぼく」だった。
たかが名前、でも…
だからぼくの「女の子らしい」出生名は、常にぼくを苦しめ続けた。響きも漢字も柔らかく可愛らしく、乳房と月経と同じくらいぼくにふさわしくなかったのだ。
他人から呼ばれるたび、字面を見るたび、己で書くたび、ずっとずっと苦い思いを噛み殺してきた。
自分にふさわしい、男女どちらにも取れない名前に変えたい。しかしそんなこと、とうてい親には言い出せない。第一、友だちやパートナーになんて説明したらいいかわからない。
改名の方法は、ずいぶん前から調べていたので知っていた。まずは通称名として数年使用し、周囲に浸透させて「使用実績」を作ること。性同一性障害の診断書(※)を取得すること。その後、家庭裁判所に名の変更を申し立てること。
- ※ぼく自身はぼくのことを「ノンバイナリーのトランスジェンダー」と認識しているため性同一性障害の診断書は自分に適していると捉えているが、ノンバイナリー全員がトランスジェンダーと自認しているわけでも、「性同一性障害」の診断書を望むわけでもない。
希望する名前も、いつ考えたのか定かじゃないくらいずっと昔からこの胸にあった。
でも、たかが名前だ。ペンネームである「チカゼ」は性別はおろか国籍さえわからないようなふしぎな響きのものだし、それがあるならいいじゃないか。
でも、やっぱりこれから先、一生「女性」の名前で呼ばれ続けるのは耐えられない。でも、でも、でも…。
その「でも」のあいだをずいぶんと長い間、親元を離れたあともずっと、さまよっていた。
決心がついたのは、こうしてセクシュアルマイノリティ当事者として物を書く仕事についたからこそのような気がする。
差別に抗議したり、苦しみを訴えたり、反対に「ノンバイナリー」という少数派中の少数派である性を楽しさを綴ったり。そういう自分を読者のかたに認めてもらうなかで、少しずつ少しずつ気持ちを固めていけた。
そしてぼくはある日、やっとのことFacebookの名義を希望していた通称名に変更し、「改名しました」という文言をポストした。
とうとう変えちゃった、どうしよう。最初は周囲の反応が怖かったのだけど、意外とみんなすぐに慣れた。パートナーも友人たちも、なんならぼくよりも早くぼくの名前に馴染んだ気がする。
「いい名前だね」「素敵だと思う」「こっちのほうがあなたに似合うよ」なんて言葉を掛けられ、「新しい名前おめでとう!」というサプライズプレートをバーで用意して祝福してくれた友人までいた。
とにかく、危惧していたより通称名はあっさりと浸透した。いまじゃみんなも「前の名前のほうが違和感を覚える」なんてこぼすくらいには。
しかしぼくの周囲がどれだけ温かろうと、社会はそうじゃないってことを、その後の出来事で痛感させられることとなる。