こんにちは、椎名です。僕は身体の性が女性で心の性は定めていないセクシュアルマイノリティで、女性のパートナーと生活をともにしています。
先日とある番組(媒体・発言者などは伏せさせていただきます)を見ていると、出演者の男性が自身の活動に関するエピソードトークの一部として「ゲイに言い寄られて、ヤバいと思って慌てて逃げた」と話していました。
この言葉を耳にした瞬間は脊髄反射(せきずいはんしゃ)でムッとして、「いまだにそんなことを公に話す人がいるんだな」と少々不快に感じました。
ですがそれと同時に、「なぜ異性愛者のかたは同性愛者にアプローチされると怖がるのだろう」と改めて疑問に感じました。
なので、きょうはこのことについて考えてみたいと思います。
おそらく読んでいて「それは違う」と思う箇所があると思いますが、「なぜ怖いと感じるのか」の答えの詳細や背景は人によって異なると考えています。どうかそのときは、違うと思ったことからご自身の考えを掘り下げるきっかけにしていただけると幸いです。
「男女」の違い
「ゲイに言い寄られて、ヤバいと思って慌てて逃げた」という話題。
いまでこそ差別的であると認識されるようになり、テレビなどのメディアでも以前ほど耳にしなくなってきました。
そう認識される以前は、笑い話であることが当たり前かのように、バラエティ番組などで面白おかしくネタにされていました。
そのせいか、LGBTQ+当事者が身体の性が同性の友人などにカムアウト(セクシュアルマイノリティであると打ち明けること)をする際、「俺のことを狙うなよ?」「私は付き合えないからね」などと、まるでLGBTQ+当事者が同性であれば誰でも見境なく性愛の標的にしているように言われてしまうことが多くあります。これにより、傷ついた体験をされたかたも少なくないでしょう。
この話題について考える際、考え方のひとつとして、言い寄られる側、好意を向けられた側が社会的に男性として育ってきたのか女性として育ってきたのかで受け取り方に違いがあると考えます。
僕の身体の性は女性ですが、心の性は定めていないのでXジェンダーです。ではXジェンダーとして育てられたかというとそうではなく、身体の性に合わせて女性として育てられました。
性別は男女の2種類だけでは分類することができないと考えていますが、あくまで今回の場合は現在までの日本において男女のどちらとして育てられたかという意味で男女の違い、とさせていただきたいと思います。
女性として育てられると、折々で身の安全の気をつけ方を教えられます。家庭や環境によるとは思いますが、僕も母から性教育として男女の交際の注意点や夜道などでの気をつけ方、ひとり暮らしをはじめるときには防犯対策法を聞かされました。
特に夜道やひとり暮らしの防犯対策については、進学や就職でひとり暮らしを始めるかたが増える春先になると、毎年SNSで注意喚起の投稿を見かけます。内容は物件の選び方や、女性がひとり暮らしをするうえで気をつけるべき防犯対策のポイント、アドバイスの情報。
このように多くの女性は女性として育つ過程で、男性から身を守るためにさまざまなことに対し「気をつけなさい」と言われます。そしてその理由の奥には、女性である自分に向けられる性欲の存在も、自然と知り警戒するようになります。
その点男性は警戒される側であることが多いことから、身の回りの危険に気を配る度合いが女性よりも低くなりがちで、あまり気にされないかたが少なくありません。
自分に性欲が向けられると考えていなかったところに同性であるゲイのかたから急なアプローチを受けると、性欲を自分に向けられていることに気づき驚いてしまうことから恐怖を感じてしまうのではないか、という見解が散見されます。
この男女の差が同性愛者からのアプローチを「怖い」と感じる原因のひとつ、もしくは一端なのかもしれないと僕も思います。
母から向けられた「気をつけなさい」の言葉には、セットで「女の子なんだから」が付け加えられていましたし、それは特に珍しいことではないとも感じているからです。
もちろん男性が性犯罪の被害にあう可能性は十分にあるので、被害にあわないよう気をつけるべきだと思います。
最近はやっと男性が被害者である性犯罪も起こり得ると認識されるようになってきましたが、被害者のなかには女性同様被害にあったと訴えられないかたも多くいるそうです。
性別問わず性被害の根絶を願ってやみませんし、せめて被害にあわれたかたが適切なケアを受け、加害者が正しく罰せられるように声を上げられるようになってほしいと思います。