こんにちは、椎名です。僕は身体の性が女性で心の性は定めていないセクシュアルマイノリティで、女性のパートナーと生活をともにしています。
女の子として生まれ、育てられた僕は、物心がついたころから「女の子のもの」が苦手でした。
今回は僕が生まれた平成の初期である1990年代、幼かった僕を助けてくれた愛すべきキャラクターたちと物語についてお話しします。
僕と同じように身体の性別の「女の子のもの」「男の子のもの」が苦手だったかたや、苦手そうにしているお子さんが近くにいらっしゃるかたは特にご一読いただきたいです。
「女の子のもの」が苦手な女の子
冒頭でもお話ししましたが、僕は心の性を男女のどちらにも定めないと決めた、Xジェンダーです。平成がはじまってすぐに女の子として生まれました。
30代前後からうえの世代はよく覚えていると思いますが、当時はいまと違いランドセルもほとんど赤か黒の時代で、身体の性別のものを選ぶのが当たり前の時代でした。だけど、自分で選ぶものが何もなかったわけではない時代でもありました。
もちろんいまのように、LGBTQ+への理解どころか言葉自体もほとんど知られていなかったころのことなので、当然両親(特に母)は体の性に合わせて僕を「女の子」として育てようとしましたが、僕はその期待に反して男の子が好むようなものに興味を示すことが多い子どもでした。
いま思えばよくある「女の子なんだから」という言葉を投げかけられても、あまりピンときていなかったように感じていたような気がします。
女の子だと言われてもピンとこないからか、母たちが用意する可愛い「女の子のもの」を身に着けることにも違和感があり…。特に服装に関しては、4〜5歳のころには、カートやフリルのついたものよりもズボンやトレーナーがお気に入りでした。
自分の言葉で表すことは難しかったけれど、女の子ではない気がするし、だからといって自分を男の子だとは思ってはいません。
だから「男の子のおもちゃを買って!」とせがんで、「これは男の子のおもちゃだから」と断らることには、「たしかに自分は男の子ではないな」とどこか腑に落ちてはいました。
兄同然の従兄とは一緒に泥遊びをし、戦隊ヒーローに憧れ、車のおもちゃをほしがるけれど、お絵かきやおままごとや人形遊びも好き。だけどフリルやリボンやスカート、女の子が持つことが多いキャラクターグッズは苦手。「女の子のものは自分のものじゃない」と遠ざけても、男の子のものはなかなか買ってもらえない。
そんな状態だった幼いころの僕は、一見八方ふさがりのように見えるかもしれません。
そんな僕を助けてくれたのは、冒頭でお話しした通り、1990年代に多く花開いた性別問わず「好き」を向けることができるコンテンツたちだったのです。
僕を支えたディズニーの黄金期
1989年から2000年に入るまでのおよそ10年間は、ディズニーにとっての黄金期と呼ばれています。
それまでディズニー長編アニメーション映画作品といえば、『白雪姫』『シンデレラ』といったプリンセスが主人公のイメージが強かったなか、ディズニーはこの時期にも『リトルマーメイド』『美女と野獣』といういまでも大人気のプリンセス作品を制作。
その一方で、『アラジン』『ライオン・キング』『ノートルダムの鐘』『ヘラクレス』といった、男性キャラクターが主人公の長編も制作し、成功を収めています。
幼少期の僕はそんなディズニー黄金期に制作された男性主人公の作品に心打たれ、大人になったいまでも作品を愛し続けています。
たとえば『ノートルダムの鐘』は、虐げられても自分の心が望むものに手を伸ばすことの大切さ教えてもらいました。
『ヘラクレス』からは自分がセクシュアルマイノリティだと気づく以前に感じていた、「自分はほかの人とは違うのかもしれない」という漠然とした生き難さを抱える僕にも、居場所はきっとあることを教えてくれたと思っています。
成人して自分の心の性を男女のどちらにも定めないと決めるまで、これらの作品を何度も何度も繰り返し観ては元気をもらってきました。
そして『アラジン』には、人を助けたり喜んでもらう素晴らしさを。幼い僕に、大人になったらランプの魔人ジーニーのように誰かを幸せにするお手伝いができる大人になりたいと思わせてくれた、大好きで大切な作品です。
僕がこうして当事者の声を届け続けている考えの根底に、ジーニーの存在があると感じています。