こんにちは、椎名です。僕は身体の性が女性で心の性は定めていないセクシュアルマイノリティで、女性のパートナーと生活をともにしています。
「セクシュアルマイノリティ」「LGBTQ+当事者」といった言葉が一般的になった昨今、メディアが伝えるニュースでは見聞きするけれど、自分の周りにはカムアウト(性自認・性的指向を打ち明けること)をしている人がいないというかたもいらっしゃるかと思います。
今回は、「今後当事者と出会ったり、周囲の方からカムアウトをされたらどう話したらいいかわからない」「傷つけることを言ってしまうのではないかと思うとこわい」そう考えてしまうかたに向けて、LGBTQ+当事者が言われがちな、モヤっとしてしまうことについて取り上げます。
周囲にセクシュアルマイノリティ当事者がいるかたも、そうではないかたも自分が言ってしまいそうではないか、考えながら読んでいただけると幸いです。
セクシュアルマイノリティ当事者が言われがちなこと
筆者は30代半ばのセクシュアルマイノリティで、20代の初めのころから少しずつ周囲にカムアウトをしてきました。
いまでは多くの友人にはカムアウトを済ませ、昨年転職をした際は応募の段階から、セクシュアルマイノリティであることと身体の性が同性のパートナーがいることをオープンにして転職活動をしました。
現上司や同僚も同性のパートナーがいることを知っている状況で働いています。
何度もカムアウトを重ねてきたなかで言われたことも含め、まずは当事者の間で「よく言われる」と言われていることから紹介していきましょう。
同性の友人から「ごめん!好きになられても応えられないから」
同性からの好意に応えられないことが事実だとしても、まだ告白もされていない段階でそれを伝える必要ってあるのでしょうか。
「大切な友人だから」という理由でカムアウトをした可能性も十分にあります。
あなたに恋愛感情を抱いているかはわかりませんし、同性が恋愛対象であっても、同性ならば誰に対しても恋愛感情や性愛を向けるわけではありません。
異性愛者も「異性ならば誰でもいい」というかたは珍しいのではないのでしょうか。それは同性愛者であっても同じことなのです。
ゲイに対して「女装をしていないし、女言葉を使わないからゲイじゃないと思ってた」
これまでメディアに登場したゲイのイメージに近いゲイのかたは実際いらっしゃると思いますが、違った見た目や話し方をしているゲイのかたもたくさんいます。
服装や言葉遣いは、必ずしも性的指向や性自認と結びつかないものです。
たとえば筆者は身体は女性ですが、メンズ服を好んで休日はもちろん職場でも着て過ごしていて、パートナーは女性です。
筆者と同じくメンズ服を好んで着ていても、異性愛者の女性もいますし、フェミニンな服装が好きな同性愛者の女性もいます。言葉遣いや物腰の柔らかな異性愛者の男性もいらっしゃいますよね。
こういった服装などで性別を表現する「性表現」が、身体の性別にとっての異性の場合でも同性愛者とは限らず、性表現が異性の異性愛者という場合もあります。
「全然そう見えない!普通に見えるよ」
これも先ほどの服装や言葉遣いを性的指向や性自認と結びつけて考えていることの派生と考えられます。
「普通」が異性愛者やセクシュアルマイノリティ当事者以外を指すのならば、セクシュアルマイノリティは当事者は「普通ではない」のでしょうか。
セクシュアルマイノリティ当事者にとって、自分の性的指向や性自認はいたって「普通」のことなのです。
「同性同士ってどうやってセックスするの?」
意外と聞かれることがある言葉で、驚くことに筆者も何度か面と向かって聞かれたことがあります。
そのとき、相手は単純な興味で聞いてきたのだろうと察し、答えずに適当にはぐらかしました。
男女間以外のセックスがあまり想像できないのかもしれませんが、だからといって異性愛者のカップルにも同じように「ふたりはどんなセックスをしているの?」と軽々しく質問するでしょうか。
質問者との間柄によっては抵抗なく応える当事者もいるかもしれませんが、人を選ぶ質問ではないかと思います。
異性愛者に対して失礼な質問は、同性愛者に対しても失礼な質問だと思います。
同性愛者やトランスジェンダーに「男女両方の気持ちがわかるんでしょ?」
正直に申し上げると、同性が好きだからというだけで男女どちらともの気持ちなんて、わかるわけがありません。
女性同士、男性同士でも相手の気持ちがわからなかったり、ものの好みが違うなんてことはよくあることです。
男女どちらの考えも、バランスよく理解しているように見える当事者もいるとは思います。
しかしそれは、その人が性別問わず他者に寄り添える人ということであり、その人個人の特性によるものであってセクシュアリティ由来ではありません。
「同性愛者はアーティスティックな感性がある。ファッションセンスがいい」
これもセクシャリティ由来ではなく、個人の特性によるものです。
素晴らしいファッションセンスやアートへの関心や得手、という特性はその人自身が持つ特性でありセクシュアルマイノリティであることには起因しません。
同性愛者、特にゲイに対するステレオタイプな認識のひとつでもあり、当てはまる人もいれば当然当てはまらない人もいます。
「先進的」「流行ってるよね」
これは2015年に渋谷区でパートナーシップ制度が施行された以降、世の中にセクシュアルマイノリティの存在がより知られるようになってから言われるようになった言葉です。
どちらも悪意があるとは限らず、自分のなかのセクシュアルマイノリティに関する知識や認識と照合させることで出てくる言葉なのだと思います。
しかし、セクシュアルマイノリティは自分で望んでなるのではなく、先天的後天的問わず自分のなかにあった性別違和や、性愛の対象や有無についてしっくりくるものを探した結果マイノリティだったという場合が大半です。
一過性の流行ではなく、当事者のなかにこれまでもこれからもあり続けるものを、まるで考え方のひとつや流行のスイーツのように扱われているようでモヤっとします。