20歳年上の夫とマイペース高1息子と暮らすアラフィフ主婦ライター、塩辛いか乃です。
最近、猫も杓子も叫んでいる「SDGs」。2007年生まれの息子は小学校時代から、SDGs、つまり2030年までに達成したい世界の環境や平和にまつわる17の目標を叩き込まれています。
サステナブルって言葉も最近頻繁に使われて、「持続可能ななんちゃら」なんて話もあちこちで聞かれて耳にタコができそうなきょうこのごろですが、そんな「SDGs推し」に疑問を持ってしまう息子と、それを見てわたしが思うことをお話しします。
息子が「SDGs」に疑問を抱く理由
わたしたちが子どものころは環境汚染なんて言葉もなく、プラスチックなど石油製品がバンバン作られていた時代。
そんなことを学校で習うこともなかったので、初めて聞いたときには「SDGsって何よ?」という感じでした。
けれど私たちが環境のことを意識せずにガンガン産業を発展させた結果、PM2.5やら産業廃棄水の垂れ流しなどで環境汚染が深刻になったり、毎年4万種の動植物と昆虫が絶滅していたり、はたまた災害も多く起きたりと、「地球が大変だ!」という危機感のもとに作られたのがSDGs。(参考URL:日本経済新聞)
地球をもっとよくするために私たちができることは何かという課題をもとに学校教育がされていたり、企業もこのSDGsを「共通言語」としてとらえ、地球環境の未来を意識したミッションやポリシーを掲げているところが多くなってきています。
しかし、です。このSDGsにわが家のマイペース息子は疑問を持っています。
最初はフムフムと素直に聞いていたものの、よく見ると目標の設定の仕方がちょっと変なんじゃない?と思ってしまう部分があるそう。
息子いわく、「実現不可能な目標が混ざっている」というのです。
わたしはあまりよく知らなかったので、息子に解説してもらうと、わたしが聞いてもたしかに「それ無理じゃない?」ということが混ざっていました。
たとえば、
- 貧困をなくそう
- 飢餓をゼロに
- 人や国の不平等をなくそう
- 平和と公正をすべての人に
などは息子いわく、「これ無理に決まってるじゃん」だそうです。その理由は、テーマが大きすぎるから。
貧困、飢餓問題、そして戦争や国の不平等。これらは世界の歴史を学べば、人類の歴史そのものがこの問題に直面し続けています。特に「平和」に関しては息子は思うところが大きいようです。
「だいたい弥生時代から人は人を統治してナワバリ争いをしているわけで、人間の本能的に平和というものは訪れないのではないか」「もっと言えば、人間を含む動物は弱肉強食が本能として備わってて、カブトムシでさえ強いオスを決めるために戦っているのに、人間が戦わずに平和を保てるはずがない」と、人間に期待をしていない発言をしています。
まだ高校生の子どもがそんなことを思ってしまうほど世界は争いが絶えないわけで、平和を叫ぶ傍らであちこちで戦争が起こっていることも事実。人間という生き物がさほど高尚ではない、と息子は言います。
それを聞くとたしかにビッグワードで、2015年に提言されたこのSDGsの目標、人類2000年の歴史に対して15年でなんとかしようというのはかなり無謀な目標にも見えます。
あまりにビッグワードすぎて、「ではそのために何をするのか」という具体的な行動指針も立てにくいのでは?と思ってしまいます。
逆に息子が「たしかにこれはやったほうがいいだろう」と言っているのは、
- 安全な水とトイレを世界中に
- エネルギーをみんなに、そしてクリーンに
- 産業と技術革新の基盤を作ろう
特にクリーンエネルギーに関しては、これさえできれば、
- 気候変動
- 海の豊かさ
- 陸の豊かさ
に関しても自然に解決するので、「一番大事なこと」だそうです。
クリーンエネルギーに関しては具体的に取り組みがなされているし、これは産業と術革新にもつながってくるから必要だろうと言います。
これを聞いていると息子はSDGs自体をナナメに見ているのではなく、きちんと「できそうなこと」「無理なこと」を切り分けてみているのだなとわかりますよね。