みなさんこんにちは。飼い主さんたちが「犬を理解する」ために必要なことをご紹介している、Masumiです。
現実に起きた事件や事故、海外の犬事情など、日本では報道されないこと、私が体験したことを中心に、知っておいてもらいたいことをお話ししています。
突然ですが、「犬を大事にする」ということが、本当にわかっていますか?
庭付きの一軒家、豪華な手作り食、送り迎えつきの犬の幼稚園への加入、いつでも旅行に連れて行く、ドッグラン、高い首輪に高価な洋服…こういうことは「犬を大事にする」ではありません。
犬の健康や衛生があり、なおかつ、安全のために飼い主に従うような関係性を構築できる飼い主。
これが満たされていれば、それだけで犬は幸せです。大事にされているということなんです。
自分は困っていなくても、犬に「やめさせる」ということ
カウンセリング中に何かの音で、犬が吠え出している。それでも飼い主はとくにそこには反応しない。そのまま話を続ける方、結構いらっしゃいます。
「いま、吠えていますけど?」と言うと、「あっしばらくすれば吠え止みます」。「どれくらいで吠え止むんですか?」と聞くと、「5分くらいで…」という返答。
いろんな飼い主がいて、いろんな飼い方があって、それはいいのですが、「家では問題ないんです」っていう定義もまた、人それぞれ。
結局のところ、家では困ることがないわけです。
多少吠えても、一軒家に住んでいれば、お隣さんにも聞こえないからOKだし。
でも、多少の吠えでもアパートやマンションの場合は他人への迷惑になる。だから「吠え」が問題と考える人もいるし、吠えてもすぐに止むから…と考える人もいる。
もっと言えば、私なら「これやられると嫌だな」って思うことも、飼い主にとっては「困っていない」というパターン。
帰宅時の吠え、飛び掛かりもそうだし、家中犬が付きまとうのも嫌です。でも、それも人それぞれで、私のように「困る」「嫌だ」って思う人もいれば、そう思わない人もいる。
吠えている場合も5分間…私にとっては、3分間でもすごく長いです。
長い間、犬が興奮していて血圧、眼圧、脈拍上がりっぱなしという「犬への負担」がイヤなんです。うるさいから嫌という自分本位ではなく、相手本位で考えるから嫌なんです。
3分間、自分が大声出してみればわかると思うんですけどね。
これって、私が老犬や心臓の悪い犬を飼っているからかもしれませんが、いろんな病気や老化現象のある犬たちと過ごしていたからこそ、そう思えるんですよ。
だから私なら、実際に私自身が困っている状態でなくても、犬に「やめさせる」んです。犬に負担がかかることならね。
「させる」を深く考えて
そこで、カウンセリングで「家では問題ありません」っていう方の話を聞くと、問題があるのは「外で」ということになります。つまり外での犬の行動に、困るんですよね。
多くの方は、犬の問題行動という定義って、「自分が困ること」なんです。
家で何もさせていることがなければ、上下関係は曖昧になります。誤解している人が多いですが、リーダーシップとは「威張ること」でも、「舐められないような態度をとる」ことでもありませんよ。
私はカウンセリングの際、「家では犬に何かさせていますか?」とか「ルールはありますか?」という質問をします。
そう尋ねると大抵の人は、「ご飯前では待たせています」「散歩前、玄関ではお座りをさせています」と答えます。
「ルールは?」と聞くと、「和室(寝室、2階の部屋)には入らないようにしています」「キッチンへ入らないようにしています」など。
でもよく聞いてみると、柵を付けているそうです。「入らないようにしている」のではなく、「入れないように回避している」んです。つまり、「させている」のではないということ。
ルールとは、そもそも、物理的に回避させることではありません。
学校では「廊下を走るな!」というルールがあります。廊下が走れないようにベトベトの接着剤が塗ってありますでしょうか?
たまにありますよね?「スピード落とせ!」のサインのあと、道が盛り上がっていたり、特殊な塗装がされていたり…。
でも、それは物理的作用を利用しているにすぎず、そういうモノがなくても、ルールはルールなんです。
「させる」をもっと深く考えてみてください。
子どもに対して、「食べた後の食器を洗いなさい」をルールとするときに、食器を洗ってくれたら500円を与える。これで子どもに対して「させている」という認識を持つことは間違いです。
子どもは500円を貰えるから、毎回率先して食器を洗うでしょう?
500円を貰えなくても、「もらえるに違いない!」と期待して、子どもは食器を洗うはずです。
これは「させている」のでありません。子供と親が対等です。
お金を払うからやってもらう。みなさん、これはできています。
まずは、お菓子を利用して「座れ」や「待て」などを教えますよね?私もそうです。ただ、ここで終わっている方ばかり。
「お菓子がなくてもできます!」っていう飼い主がいますが、それは「お菓子を期待している」から犬がやっているだけです。「もらえるかも?」で、やっているだけ。
「座れ」や「伏せ」「待て」「来い」など、お菓子で教えるということは、「いうことを聞いたら、いいことあるよ!」で教えているわけです。
イルカの調教がまさにこれ。「芸」を披露すれば、餌が貰えるからイルカも学習します。
でも、本当に必要なことをお忘れです。
私は子どものときに、何度も親から「片付けろ」とか、「掃除しろ」とか、「皿洗え」とかいろいろと「させられた」もんです。でも、「お小遣いあげるからやりなさい!」って言われたことはありません。
漫画ばっか読んでいると、親が「掃除しなさい」と言ってくる。「はいはい、後でやるわ」というと、うちの母から漫画を没収されました。「何度も言わせない!」と叱られました。
ずーっとテレビを見ていておつかいを頼まれたときも、私が「あとで行く」と伝えると、テレビを消されました(笑)。
わかりますか?「嫌なことが起きるから従う」のと「いいことがあるから従う」の2つあるということです。
「いいことがあるから従う」が危険な理由
犬に何かを教えるときに、「いいことがある(いい刺激)」を使って教えるだけで終わっていませんか?
そうなると、「お菓子要らないです!」っていう開き直りだって出てくるわけですよ。
たとえば筆者が飼っているマセくん。大きくて抱っこができないので、車に乗せるためにはステップを学んでもらわないとどこにも連れていけません。
はじめはお菓子を使います。マセくんはお菓子が食べたい。でもステップに登るのは嫌。
つまり「お菓子は食べたい」が「ステップに登るのは嫌」。これ、どちらも欲求です。食べたいという欲求VS登りたくないという欲求。どちらが勝つか…。
マセくんは「登りたくない」を選びました。さて、どうしましょう。
私は一度だけ、リードプレッシャーをかけました。すると、練習なんてせずとも登るようになりました。
登って、降りる。一連の行動が、「なんてことはなかった」という記憶を脳に埋め込んだだけです。
そもそも人間だって最初から泳げる、最初から自転車に乗れる人はいません。
溺れたり、転んだりして痛い思いもしたはず。嫌なことが起きたはずです。
そこで終われば、「乗れるようになりたい!」という思いがない限り、成功しません。
成功しちゃえば、「乗れなかった」「泳げなかった」という記憶は上書きされます。
「なんてことはなかった」で終われば、次からの抵抗はありません。これが「学習」です。
こちらの動画を見てください。車に向かって行く犬です。
リードが外れたらどうするつもりなのでしょうか?一貫の終わりです。
これは一体、何を学ばせているのでしょうか?車を見ようとしたら、お菓子をばら撒いていますよね?
犬を危険から守るとき、絶対に「お菓子」が手元にありますでしょうか?
食べたいけど、車に向かっていきたい。この欲求のバランスが、「食べたい」より「車に向かっていきたい」が大きいとしたら?
選択肢を与えるということが、犬に危険を及ぼす可能性だってあるわけです。
みなさんが「犬にさせている」という勘違い、お気づきになりましたか?
お菓子で従う(いい刺激が起きる)から従うのです。お菓子を見せなくても従う(貰えるかも?という期待)があるから従うのです。この2つは「させている」のではありませんよね。
「やらないと嫌なことが起きる」だから「従う」。これを教えてないからこそ、上下関係が取れないのです。
「家では問題がない」という人ほど、本当の意味での「させる」をやっていません。
犬を守るために、「させる」の定義をきちんと理解しましょう。
知識を持つのは結構ですが、意識が大事なんですよ。「すべては犬のため」という意識をもう一度、自分で確認してみてください。
お風呂も目薬も心臓の薬も、爪切りも耳掃除も、「犬のため」です。「させる」ためには、指示したコマンドを「すぐ!」できるようにしておかなければならないのです。
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