こんにちは。無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』で、これまでの教育の「当たり前」に切り込み、真に役立つ実践的な教育情報を発信している現役小学校教師の松尾英明です。
きょうは私のメルマガから、親子や社会がもっと幸せになるための、子育てと教育についての提言をお届けします。
子育てをひとりでさせていない?
虐待は、閉鎖的な空間で起きる。逆に言えば、閉鎖をやめて開放すれば、虐待は起きにくくなる。
いま、子育てがどんどん閉鎖的になっている。三世代が同居していた時代に比べて、ひとりの子どもを見る人数が圧倒的に少ない。もっと前の、地域全体で子どもを見ていた時代に比べれば、なおさらだ。
ひと昔前は、たくさんの人で子どもを育てていたといえる。母親自身、どうすればいいのか学ぶ機会も多かったはずだ。子どもをある程度放っておいても、いろんな人に接する機会があったというのは大きい。
子育てはひとりでするものではないというのは、いまさら言うほどのことでもない当たり前のこと。
しかし、実際はひとりでやらされているという実態もあるのではないか。特に母親がひとりで責任をもってがんばっているパターンが多そうである。
子育てに不向きな親もいる
ところで、子どもを産んだ人はみな、子どもを好きだといえるだろうか。
極端な話、子どもを産んだけど全然好きじゃない、ということだって十分にあり得る。いろんな事情もあるし、いろんな人がいるのだから、ある意味当然だ。それを「好きじゃなければいけない」と考えると苦しくなる。
母親あるいは父親であっても、子育てに向いていないということは十分にあり得る。父親と母親という存在には子どもが生まれれば自動的になれるが、親になったからといって急に教育ができるようになるわけではない。それを「下手な人」あるいは「好きじゃない人」にがんばってやってもらうというのは、あまりよい結果が期待できない。
逆に、自分に子どもはいないけれど、子育てをしたら人一倍愛情を注いでできるという人だっている。だとしたら、その人が関わった方がよりよく育つ可能性がある。
里親制度というものがあるが、まさにそれである。私の住む千葉県ではそれを「菜の花家族」という(参考:千葉県HP)。児童相談所で保護された子どもを養子縁組として育てる仕組みだ。
里親として認定されるまでの壁は相当に高いが、それだけ信頼をおける家庭だという裏づけでもある。15歳未満の場合は親権者の承諾が必要になるが、15歳以上になると、本人が決められる。
「実の親が育てないのは無責任だ」という意見もあるかもしれない。しかし、親の責任追及どうこうよりも、子どもが健やかに育つ権利の方がはるかに大切だ。是非を問うとしたら、子ども自身がそれを望むかどうかだけである。