こんにちは、椎名トキです。僕は身体の性は女性ですが、心の性は定めていないセクシャルマイノリティで、女性のパートナーと暮らしています。
このことは友人やSNS、両親、ごく一部の同僚と直属の上司には伝えていますが、完全にオープンにはしていません。カムアウト(セクシャルマイノリティであると他者へ打ち明けること)が必要だと感じた相手や知ってほしいと思えた人にだけ、10年以上かけて少しずつカムアウトをしていきました。
そんな僕だからこそ思うのです。カムアウトって、必ずしも必要なものなのでしょうか。カムアウトをしなくても幸せに暮らせる社会になるために、何からはじめたらいいのでしょうか。
きょうは、セクシャルマイノリティ当事者ではない人にも知ってほしいことについて話します。お時間ありましたら、肩ひじ張らずに聴いていってくださいね。
そもそもカムアウトって必要?
僕は、2018年秋からセクシャルマイノリティとしてSNSで発信を続けてきました。そのなかで、ありがたいことにこれまで当事者のかたからメッセージをいただく機会が何度かありました。いただいたメッセージのなかで、僕が「カムアウトって必要?」と考えるきっかけになったものを紹介したいと思います。
そのかたは、自分のセクシャリティを公にはしていないそうです。周囲に隠さずにいたいと思うものの、オープンにして生きる当事者を目にするとよくも悪くも特別感を感じてしまっているとのこと。そのことをご自身では「当事者でありながらフラットではない」と感じていて、後ろめたさを感じているようにも受け取れました。
このメッセージを読ませていただいて、このかたが必ずしも自分のセクシャルやジェンダーをオープンにしていきたいと感じていないのなら、無理にカムアウトをしたりオープンにする必要はないと思いました。
僕はどちらかといえば、セクシャリティやジェンダーをオープンにして暮らしていきたいと考えています。完全にオープンにして暮らせるのならば、それに越したことはないと思っています。いまもその考え自体は変わっていません。
しかし同時に、オープンにしなくてもいい、もしくはしたくないという人がいてもよいなと考えました。現に僕も勤め先ではごく一部の信頼できる人たち以外にはオープンにしていないので、カムアウトをしない、したくないかたの気持ちがよくわかります。
カムアウトをしたい人がカムアウトをすることができる社会を目指すことはとても素晴らしい。ですが「カムアウトをすること」も自由に選べるようになれば、もっと素晴らしいと思うのです。
このメッセージがきっかけで「カムアウトをしたい人が自由にカムアウトできる」という僕が思い描く理想像に、「カムアウトをしたくない人はしないままでも幸せになれる」ことが加わりました。