子どもを授かった人、授からなかった人。子どもを持つ選択をしなかった人。「子ども」に関する価値観や選択は、人それぞれ。どんな選択をしたとしても、それぞれ抱える葛藤やもどかしさはあるでしょう。
今回のストーリーは「25歳、結婚か転職か。「転職」を選んだ私の10年後」の、さらに続き。25歳のときに自分が就きたかった会社への転職を選択し、それから10年後に取引先の冴島と出会い、結ばれた真依子。平穏な結婚生活をおくる夫婦のあいだに、いよいよ「子ども」について向き合う時期がやってくる。
夫婦は子どもを望んでいたが、なかなか授かることができなかった。そして真依子は、約3年にわたる不妊治療に区切りをつけた。母になることを諦め、冴島とふたりで生きていくことを決めた真依子だったが、「子どもがほしかった」という想いは、拭い去れないものとして心のなかにあった。
授からなかった私たちの、もうひとつの道
「特別養子縁組?」
冴島は、テレビを消して真依子のほうを振り返った。真依子は冷蔵庫からボトルに入ったミネラルウォーターをふたつ取り出し、冴島にひとつを手渡すと、隣に腰掛けた。
「いろいろ調べてみたんだけど。私たちの年齢でも、まだ可能性はあるみたいなの」
真依子は43歳、夫の冴島は41歳。一般的にいえば、はじめての子育てをはじめる年齢としては、比較的遅めなほうだ。
真依子と冴島の間には、子どもがいない。数年の不妊治療の末に授からず、いまから1年前、子どもを持つことをあきらめた。一度は「夫婦ふたりの生活」に納得し、自分たちの人生を受け入れた。つもり、だった。
夫婦二人でいろいろな場所に出かけ、仕事に打ち込んでほどほどの稼ぎを得て、互いに趣味に勤しむ平穏な暮らし。大きな感情の波も、これといって重大な心配もない日々。このまま数十年と歳を重ねていくのもそれはそれでアリかな、とも、思ってはいた。
でも。真依子はどこかで、「子ども」のことを吹っ切れずにいた。たとえ産むことはできなくても、やっぱり子どもがほしいし、ひとりでじゅうぶんだから自分の手で育ててみたい。いまからでも、できないか…?
そんなとき偶然ニュースの特集で目にしたのが、事情があって親のもとで育てられない子どもを自分の子として育てる「特別養子縁組」だった。不妊治療をしているときから制度のことは知っていたが、そのときは「自分で産んだ子を育てる」ことしか頭になかったし、クリニックの医師から薦められることもなかったので、くわしく知ろうとはしていなかった。
だが番組のなかで、生みの親が育てられない子どもを我が子として受け入れ愛おしむ夫婦と、屈託のない子どもの表情を見て、真依子のなかで何かが変わった。
他人の子を「自分の子」として迎え入れ、育てていくということに対して、果たして本当に愛し続けていけるのだろうかと考えると、100%の自信が持てない部分はどうしてもある。ただ、やったことがないわけだし、不安になるのも当然か、という気持ちにもなった。
それに冴島が反対する可能性は当然あるし、もし子どもを迎え入れることになったらいまみたいな暮らしはできなくなる。環境も、冴島との平穏な関係もガラッと変わってしまうだろう。40代からの夫婦はじめての子育ては体力的にもしんどいだろうし、真依子のアイデンティティのひとつになっている仕事だって、続けられるのかどうかも未知数だ。
だが、真依子の想いは、揺るがないものになりつつあった。
「それって、血のつながらない子を育てる、ってことだよね」水をごくりと飲むと、冴島は言った。
真依子は、うなずく。
「…実は、俺も調べてたんだよね。ちょっと前から」
冴島はそっと、スマートフォンの画面を見せてきた。特別養子縁組をあっせんする民間団体のホームページやネットの記事が、いくつかお気に入り登録されていた。
けっこう意外だった。夫の冴島は、少なくとも女性である自分よりは、この「子どもがいない人生」を割り切れていて、あまり気にしていないように見えたから。
「…そうだったんだね」
「調べはじめたばかりで、まだよくわからないことも多いんだけどさ」
「私も、そうなの」
「こういうのって、誰も教えてくれないもんね」は苦笑いをした。
そうなのだ。日本も変わりつつあるとはいっても、いまの段階ではまだ、特別養子縁組は一般的ではない。自分から積極的に情報を取りに行かないと、その仕組みも何をすればいいのかもよくわからない。
でも、特別養子縁組で子どもを育て、親子ともに幸せに暮らしている人たちが日本にいるという事実がある限り、自分たちふたりにだって、まだ可能性は残されていることはたしかだ。
特別養子縁組をするためには児童相談所か民間団体のいずれかを介する必要があるということは、二人とも調べて理解していた。ただ児童相談所を介す場合には費用はかからないが、新生児を引き取れることは少なく、実際に迎え入れるまでに時間がかかるそうだった。
「もし、できれば、赤ちゃんのころから育てることができたらいいよね」真依子は言った。
「そうだね。もし叶うなら最初から、ずっと一緒に暮らして育てていくことができたらいいと思う」冴島も賛同する。
「気になる団体があったんだけど、説明会に申し込んでみない?」
「うん。できるだけ、早いほうがいいよね」冴島はうなずいた。
真依子はさっそく、とある団体のホームページから必要事項を記入し、申込みをした。「送信」ボタンを押した瞬間、もしかしたらこれから子どもを育てる人生が待っているのかもしれないということ、その可能性に向けて踏み出したという事実に、少しだけ嬉しくなったのだ。