こんにちは、椎名です。僕は身体の性が女性で心の性は定めていないセクシュアルマイノリティで、2015年から女性のパートナーとふたり暮らしをしています。
各家庭や同棲しているカップルごとに、日々の家事や季節のイベントなど、さまざまなことが恒例・習慣化されているでしょう。それには暮らしやお互いを大切にするために意識していること、意識していなくても繰り返すうちに習慣になったものとがあると思います。
わが家にも特別意識して過ごしてはいなかったけれど、習慣になったことがあります。それは「毎日ハグをする」ということです。
きょうは、「習慣としてハグをすること」についてお話しします。
実家からひとり暮らし、そして同棲
僕と彼女は地元で出会い、進学を機に一緒に地元を離れました。
地元は、小さな田舎町。身体の性が同性同士である僕たちが外で手を繋いで歩いていたら、見かけた周囲の人は不審に思い、お互いの両親の耳に入るなんてことにかねません。もしくは学校でよくない噂話として広まってしまう恐れもあったため、地元では手を繋いで歩くことすらできませんでした。
そんな地元を離れて移り住んだ、東京。人混みのなかでは知り合いに見られる確率も低く、行き交う人々の目に止まってもその人たちにはきっと二度と会うことはないだろうと思える、“はじめて周囲をあまり気にすることなく手を繋ぐことができた街”です。
地元の目につかないところで手を繋いだ日々。もちろん手を繋ぐよりもハードルが高いハグは、実家の自室でこそこそとしていました。
ひとり暮らしをし始めると、部屋でなら堂々とハグすることができました。すべての異性カップルがそうとは思いませんが、外でハグをしていても同性カップルよりは周囲の目には違和感なく映るでしょう。地元にいたころから、僕たちにとってのハグは家のなかでする特別なものでした。
あいさつとしてのハグ
同棲をはじめてふたり暮らしになると、何気なくしていたハグは別の意味も持つようになりました。
ひとつ目は、挨拶のハグ。ここ数年の新型コロナウイルスの流行により減ったかもしれませんが、海外の特に欧米諸国では挨拶とともにハグをする文化があると認識しているかたも多いのではないでしょうか。欧米での挨拶に抱くイメージほどではありませんが、僕たちは挨拶とハグがセットになることが多々あります。
寝ぼけ眼の起き抜け、我が家では彼女のほうが早く起きて朝食の準備をしてくれています。キッチンに立つ彼女に声をかけ、手が空くとまずハグをします。
わが家はベッドもひとつで、眠っている間も相手にくっついていたりすることから、ハグをするとパブロフの犬の反射のように眠くなってしまいます。それをふざけて「おやすみ」なんて言いながらするハグから、1日がはじまります。
仕事が終わり、帰宅。コロナ禍以前はただいまのハグでお互いの1日の疲れや頑張りを労うのが恒例でした。いまはウイルスの付着などが気になるので先にお風呂を済ませてから、改めておかえりのハグをします。
パートナーである彼女はとても心配症で、当たり前の日々を当たり前だとは言わない人です。ニュースで事故や通行人などの面識のない一般市民が被害に合った事件などが報道されるとよく、「明日はわが身」だと口にする程です。
だからおかえりのハグには、お互い無事に帰ってきたことを喜ぶ意味も込めて相手に「おかえりなさい」を渡すハグ。
1日の終わりには、もちろんおやすみの挨拶としてのハグ。腕枕をするように彼女の頭のしたに腕を置いてぎゅっとハグをします。
彼女は眠りにつくと体温が高いため夏場はそれが少し大変ですが、寒い季節は温かさで安心感がかなり増します。
就寝前のハグは眠気を誘い、僕はもともとかなり寝つきがいいタイプであることも相まってすぐに寝てしまいます。逆に単身での帰省時など物理的に彼女がいない場合、ハグをしていないからか、なかなか寝つけずお酒の力に頼るなんてことも…。
それだけハグが習慣になり、生活の一部になっているということでもあるのかなと感じます。