「LGBTを理解できない私は悪なのだろうか」
「ダイバーシティ」や「多様性」が一般的な言葉として浸透しつつある昨今。ここ数年の間に大企業以外でも企業としての施策のなかにこれらをテーマとして組み込む企業が増えてきています。
レズビアン、ゲイ、バイ、トランスジェンダーの頭文字を取った「LGBT」が一般的に使われることが増えてきましたが、セクシュアルはLGBTだけではありません。
自身の性自認や性的指向が定まっていない、もしくは意図的に定めていないセクシュアリティを指す「クエスチョニング」、風変わりな・奇妙なといった英語圏の言葉「クィア」という2つの言葉の頭文字をとった「Q」。
さらに、ほかにもさまざまなセクシュアリティが存在するということを表す「+」。
このふたつをLGBTQに加えた「LGBTQ+」や、Sexual Orientation and Gender Identity(性指向と性のアイデンティティ)の頭文字を取った「SOGI」と表現されることがあります。
特にLGBTQ+に関しては、2015年に東京都渋谷区が日本ではじめてパートナーシップ制度を実施して以来、社員や地域住民などに対し企業や自治体が研修やセミナーを開催ししたりと、少しずつ社会全体で理解を深め、差別を解消していこうという流れになってきています。
異性愛者の多くはLGBTQ+当事者に対し差別はよくないと理解を示しつつあるものの、どうしても理解できないと感じているかたがいるのも事実です。そんなかたに向けて、今回はお話しします。
初めにお伝えしておくと、筆者は30代のLGBTQ+当事者です。女性として生まれ育てられましたが、心の性は定めていません。男性でも女性でもあり、男性でも女性でもありません。ややこしいなと思ったでしょうか。しかし僕にとってはそうでしかありません。
そして、僕の生涯のパートナーは女性です。一昨年一緒にマンションを購入し、生活をともにしています。
これからお話しする内容はけして「LGBTを理解できない」という考えや、そう考えるかたの人格を否定するためのものや、上から目線で考えを改めさせようというものではないので、ご安心ください。
異性愛者とLGBTQ+当事者
LGBTQ+がニュースなどでよく取り上げられるようになったのは、前述のように2015年渋谷区でパートナーシップ制度が開始されたころだと感じています。
ご存じかもしれませんが、当事者のなかには理解のない異性愛者から、心ない言葉や扱いをいじめや差別といった形で被害を受けてきたかたが少なくありません。この被害を背景として、理解のない異性愛者は「差別主義である」とされてきました。
「LGBTQ+を理解できない」と考えるあなたはこの事実に気づいた際、さぞ驚いたことでしょう。同性を愛する人が世のなかにはいるらしいと知識として知っていても、自分自身はいままで当たり前のように異性を愛し、周囲の誰もが異性を愛するものだと無意識の内に考えていたかもしれません。
SNSでは同じように理解できないと感じた人がそれを主張し、投稿や書き込みを見たほかのユーザーから「差別主義者」と受け取られ、吊し上げられて炎上しているなんてことも考えられます。あなたにとって当たり前だと思っていたことが突然くつがえったうえに、それを否定することは罪であると突然言われたようなものなので驚いて当然です。
たとえば学生時代によくある話題のひとつである“恋バナ”。その多くは好きな異性の名前を言わせようとしたり、「彼女(彼氏)つくらないの?」などの“異性愛を前提とした話題”です。
自分も相手も異性愛者であれば、受け入れられることもあるでしょう。しかし、カムアウト(自分がセクシュアルマイノリティであることを打ち明けること)ができず、性的指向を周囲に隠した状態で異性愛者前提の話題を振られて傷ついたというエピソードは、当事者にとって悲しい経験としてよく挙がります。
もちろん、話題を振った異性愛者は意図的にその人を傷つけようなどとは思っていなかったでしょう。実際、意図していじめなどで当事者を傷つけた人よりも、そうして意図せず無意識のうちに傷つけてしまった人のほうが、実際は多いのだと思います。
自分で思い返してみて心当たりがあり、しかもそれが楽しい学生時代の思い出として記憶に残っていれば、まるで思い出まで一緒に否定されたように感じるかもしれません。当事者の主張にショックを受け、ひどく傷ついたり、急にそんな風に言われて腹が立ったかもしれません。
真っ向から反発すれば差別主義者扱いされ、異性愛者の側が世間から見れば悪者になってしまいます。そのことから余計に「LGBTQ+の当事者は勝手に異性愛者や理解できない人を悪者扱いをする」と考えたりしていないでしょうか。しかし、それは行き違いによる勘違いなのです。