20歳年上の夫と、高1マイペース息子と3人暮らしのアラフィフ主婦ライター、塩辛いか乃です。
わが家の高1息子は、小さいころからマイペース。さらにちょっと飄々(ひょうひょう)としたところがあり、ときどきわたしを驚かせることがあります。
幼いころからマイペース街道を突っ走り、好き嫌いがハッキリしていて興味があることには没頭、ないことには完全スルーを決め込み、頑として動かない。
自分を持っているという意味ではすごく大事なことではありますが、子育てをする私からすると、なかなか面倒くさくて手がかかる、手ごわい相手です。
そんな息子は学校という場所もあまり好きではありません。自分の好みに関係なく、決まったカリキュラムで集団授業が行われるわけなので、マイペース息子にはあまり空気が合わないのでしょう。
とはいえ、インドアで新しいことが嫌いな息子。せめて学校という場で外界と接触をしてほしいと思い、できるだけのんびりした空気を持っていそうな私立の中高一貫校に入れました。
「怖いから断った」誇らしい息子
そんな息子は中学に通い始め、大きなトラブルはなく、まぁまぁ楽しい感じで学校に通っていました。
そんな息子が中1の秋くらいに、学校から帰ってくるなりわたしに「きょう学校で体育があってさ」と話しかけてきました。
ふだん学校の話を滅多にしない息子。学校での生活は息子にとって「やらされているもの」なので、その話を持ち出すこと自体が「やらされ時間」になってしまうようで、家では学校の様子や勉強の話などを話題に上げるだけで嫌な顔をされてしまいます。
そんな学校の話がタブーな息子も、彼にとって特筆すべきネタがあったときには「ねぇねぇ聞いて」と話してくるので、いったいどんなことがあったのかと耳を傾けました。
すると息子は、「きょう体育で体操のテストだったんだけどさ、怖いから断った」というのです!
もともと超ビビリなうえに、わたしのダメダメ運動神経をきっちり受け継ぎ、運動センスゼロな息子。自分の遺伝子だと見ていてわかるので「ほんとゴメン」としか言いようがない。
でもわたしができないおかげで、学生時代の体育がしんどい気持ちはすごくわかる。
わたし自身、運動神経が悪くてすごくバカにされたし、体育の授業が大嫌いだったので、息子にはいつも「体育のできる、できないであれこれ言われるのは学生時代だけ!」と言い、運動神経が悪いことは恥ずべきことではないということは強調してきました。
息子のどんくささを見ると、自分の過去を思い出してしまい、早く高校卒業して体育のない世界に行っておくれといつも祈っています。
そんなわたしをよそに、マイペースな息子はわたしよりは体育を楽しんではいるようなのですが、断ったとはいったいどういうこと?
よくよく聞いてみると、息子の説明はこうでした。
「体育のテストで三点倒立をしなくちゃいけなかったんだよ。だけど俺は怖くて首の骨が折れたらどうしようとか、補助で足を掴んでるやつが補助を失敗して自分が怪我したらどうしようと思ったらめちゃくちゃ怖くなって、倒立できませんってテストを断ったんだよ」と言ったのです。
わたしも体操は大の苦手でした。同じく超ビビリな私は倒立なんてできるわけがない。たしかに倒立はできる人の方が少ないので、補助で支えてくれる同級生がいるのだけど、つかむ場所が悪かったり、つかみそこねて倒れてしまったりということもあったなぁと思い出しました。
わたしもそんな感じだったので、もちろん倒立なんかやりたくなかったけれど、さすがにテストを断る勇気はなく、足をつかまれるのも気持ち悪いし、なんとなくマットに手をついて、足をカエルのようにピョコピョコさせて、確信犯的に「あーできなかった」と言って去るという手法を取っていました。
なのに息子は真っ向から「できません」と断ったというのです。わたしは自分が嫌で嫌で仕方なかった体育の授業で、「テストを断る」という選択肢さえ思い浮かばなかったのに、息子はそれをした。
なんとなく私ができなかったことをやってのけた息子が神々しく、ヒーローのように見えてきてしまいました。
「あんた体育の先生に断ったの、すごくない?わたしも嫌だったけど、そんなこと思いつかなかった。先生に言うの、勇気いったんじゃない?」
そう聞くと息子は「そりゃめちゃくちゃ勇気がいったけど、それより自分がケガするのも嫌だったし、怖すぎてできなかったし、断るしかなかったんだよ」と言いました。わたしの反応が肯定的だったことに安心したのか、少しほっとしたような表情でした。
体育の先生の反応を聞くと、そりゃあいい反応をするわけはなく、何かお小言的なことを言われたようですが、テストを受けなくても出席していればオッケーのはず。
わたしも息子の話を聞いた瞬間はビックリしましたが、自分でそれを怖いと判断したのなら、断る勇気も必要だなと思いました。
「学校でやれと言われたら、それがどんなに嫌なことでも、すべて受け入れてやらなくてはいけない」となってしまうと、それがたとえば会社に入ってブラックで理不尽な残業を命じられたときであるとか、どこかの飲み会で一気飲みを強制されたときに「断る」っていう選択をするのが難しくなるんじゃないかなと思ったのです。
個性が叫ばれる時代ですが、いまの学校のスタイルを取っている性質上、やっぱりある程度は横並び教育にならざるを得ません。
そのなかで「自分で考えて行動しよう」なんて無茶なスローガンを掲げられたりするので、昔よりもややこしくなっていそうな気がしなくもないですが…。
自分の頭で考えるべきなのであれば、息子の選択は「自分の頭で考えた結果の行動」ということで、賞賛に値することなのではないかと思ったのです。
学校の成績は悪いけど、これってなかなかできることじゃないし、長い人生のなかでは学校の成績よりも「どうにも無理なことを断る」という行動のほうが大事なんじゃないかと。
そういう意味で、わたしはこの息子の選択を支持しようと思ったし、それをした息子をちょっと誇らしく思いました。
もちろん授業を受ける以上、できるだけその授業を吸収するに越したことはないので、なんでもかんでも嫌だからやらないというのは当然違うと思いますし、息子もそのあたりはちゃんとわかっているからこそ、考えて選択したんだなぁと思えたのです。