手探りで子育てをして、はや16年。息子を育てていると、いままで忘れていた自分の学生時代のことなどが思い出され、記憶って不思議なものだなぁと思います。
そうやって子どもが小学校にあがったあたりから、自分の回想を交えつつ、息子の姿を見てきました。
そしてそれと同時に、いまの小学校はわたしがいた30年前よりどれだけ進化しているのだろうという興味が出てきたのです。
しかし残念なことに、学校教育って驚くほど変わっていないことに気づいてしまいました。
変わっていないどころか、むしろ、変わる土壌がない場所を無理に引っ掻き回して、逆におかしなことになっている。そんな空気感まで感じてしまうこともありました。
今回はそんな、わたしが息子の学校生活を通じて感じた「違和感」についてお話します。
これはあくまでわたしが息子の学校を見て感じたことで、ほかの学校はそうではないかもしれません。あくまで個人的、主観的な意見です。
個性の時代だけど、横並びがなくなったわけじゃない
昔はバリバリ「横並び」な教育で、わたし自身もそれに疑問を持たずに、「みんなと同じようにできなくちゃいけない」と思い込んで学校生活を過ごしました。
勉強は割とできたのですが、体育が大の苦手だった私は逆上がりができない最後の1人になり、放課後に泣きながら練習してやっとできるようになりました。
できない1人に逆上がりをさせ、周りに「頑張れ」と応援される、つるし上げにあったような最悪な気持ちはいまも忘れられない嫌な思い出です。
逆上がりのことを言えば、いまの子どもたちは逆上がりができなくても無理にやらされることはなくなりました。
ぶっちゃけ逆上がりなんかできなくたって人生に何の影響もないし、わたしに似て体育が苦手な息子があのつるし上げに遭わなくて済むようになっただけでもよかったと思いました。
ですが、根本的には何も変わっていないのだなぁと痛感しました。わたしが小学生のころとやることがほとんど変わっておらず、昔の体育から「全員できなくちゃいけない」を引いたような感じ。
考えさせてる「フリ」じゃないのかな?
いまは「自分の頭で考えて行動できる子を育てる」という方針で教育がされていると聞いていましたが、それにも違和感を感じてしまいました。
ある年、小学校のPTA役員の仕事として、生徒たちが話し合う保健委員会に参加するというものがあったのですが、そのときの話し合いテーマは「ケガ0プロジェクト」。そのテーマを聞いた時点で、ちょっとゾッとしてしまいました。
というのも、うちの息子が通っていた幼稚園はどろんこ系の幼稚園。
そこの園長先生には、「最近の子は小さいころに転んだりケガしたりしていないから転び方が下手くそで、大きくなっていきなり転んでしまうときに手をつくことができずに顔面を打ってしまったりすることがある。だから小さいうちに小さなケガをして学ぶことも大事ですよ」と言われていました。
小学校は子どもも大きくなり、危険な遊び方をする子も出てきます。だから学校としてはケガ人を出すわけにはいかないのかもしれませんが、それでもまだまだケガをしながら学んでいく時期。ケガ0というテーマ事態に違和感を感じてしまいました。
しかし、子どもたちはその「ケガ0プロジェクト」というテーマについて真面目に語り合っています。
参加した私たちは、「フォローをお願いします」と言われていたのですが、そもそも「ケガ0プロジェクト」というテーマに違和感を感じてしまい、フォローどころではなくなってしまったわたし。
子どもたちは何の疑問もなくこのテーマを忠実に受けて、ケガをなくすための討論を始めました。ケガを0にするための話し合いですから、当然「多少のケガは仕方ないんじゃない?」という意見自体が出るわけがありません。
「廊下を走らない」。なんか30年前に聞いたよなぁと思いながら子どもたちの会話を聞いていましたが、それを聞いていてビックリしました。
ケガを避けるため廊下を走らないようにといっても、走る人がいる。だから廊下を見張る当番を作ったほうがいいとか、走った人を報告して黒板に名前を書いたほうがいいとか…もう戦時中のゲシュタポみたいなことになっていて、それを正しいこととして朗々と発表する姿にもうすら寒い想いをしました。
「これがほんとに、自分で考えて意見を言う教育なのか?自分で考える教育をしているフリなんじゃないか?」と悶々としたのを覚えています。
その討論の最後に保護者からひとことという場面があったので、言葉を選びつつ言いました。
「ケガ0という気持ちはとてもわかりますが、大きなケガを防ぐために小さなケガをして学んでいくことも大事だと思います」空気をぶち壊してしまいそうだなと思いつつも、これだけは言いたいなと思って発言しました。
当時の保健の先生がこのプロジェクトに力を入れていたので申し訳なかったですが、ゲストとして校医の整形外科の先生が来ており、その意見にも賛同してくれたのでほっとしました。