結局「まんべんなくできる」が最高評価を得られる世界
そしてさらに息子の年齢が上がると、また違う部分に違和感を感じるようになりました。
それが「まんべんなく全部頑張るのがよし」。これは日本全体に漂う空気感でもあると思いますが、「できるところを伸ばすより、できないところの穴を埋めていく」にフォーカスされる傾向があると思っています。
わたしが息子を中学受験させようと思った理由のひとつでもあるのですが、わたしが住む神奈川県の公立高校受験で合否に使われれるのは、当日の試験の成績だけではなく、普段の成績が半分加味されます。
普段の学校の成績はどうつけられるかというと、定期テストの点数、提出物をきちんと出す、ノートをきれいに取って提出。そして授業を聞く態度などを加味してつけられます。さらに、生徒会や集団スポーツの部長などをやると加点があるそうな。
これってどういう生徒を求めているかが丸見えで、要は先生の授業を真面目に聞いて、ノートをびしっと取って、言われたことをやれる人。さらに生徒会や運動部の部長などリーダーシップが取れる人。要は誰もが思い描く「なんでもできちゃう優等生」。
たしかにこの基準でまんべんなくオール5を取れる人はある意味すごい。言われたことをきちっとやるのが当たり前だと思う人も多いだろうし、これがこなせる人はたしかにすごいとは思います。
だけどこれが個人の優劣をつける評価基準だとすると、すごくモヤモヤします。
先生の授業がどんなに退屈で子守唄に聞こえても、興味がありそうに瞳を輝かせて聞くって、まぁまぁ技術が必要です。
生徒会や運動部の部長も、要はリーダーシップが取れる人を高く評価するというメッセージですが、世の中リーダーばっかりで構成されていません。
受け入れる学校側も、そりゃ普段の成績がいい子のほうが安心して受け入れられるし、手堅くいけるでしょう。だけどそんな子ばっかりじゃないし、それが悪いわけでもない。
この「いい子の基準」にまったく当てはまらないわが子。つまり好き嫌いがハッキリしていて、お勉強は嫌い。提出物はどこ吹く風で出さず、先生に媚びることもなく、運動が苦手で帰宅部。前に出るのは嫌いな息子にとって、高校受験は不利でしかないと判断して、中学受験に踏み切ったわけです。
それで高校受験を回避したものの、次に来たのは大学受験。わたしの時代は大学受験といえばそれこそ当日の試験一発勝負の世界だったのですが、いまは大学受験が多様化して、自己推薦やAO入試など謎な入試が増えています。
それがどんなものかとみてみると、形だけは「多様な生徒を受け入れる目的で」とはありますが、出願条件に学校の成績や出席日数のしばりがあったり…。
大学受験まで来れば実力勝負の世界だと思っていたのに、最近の改革でやっぱりここでも「学校でまんべんなく頑張れる生徒」が優遇されるようになってしまった模様。
その推薦枠で一般受験枠が狭まり、前代未聞の少子化だというのに、なぜか名のある大学は一般入試で入りにくくなってしまっているのだとか。何それ?
結局どこを見ても、本質的には変わらないまま「個性の時代」という皮をかぶっているので何となくおかしなことになっているなぁという感想しかなく、でも息子はこの制度のなかで進路を決めて行かなくてはいけないわけで、どうにか穴場はないかと情報収集にいそしむわたし。
もし自分なら、こういう枠のなかでの評価ではなく、海外留学とかそういう全く別の軸で評価される場所に行きたいと思うのだけど、なにしろ知らない場所が大嫌いな息子にいまのところその選択肢もなく、「優秀とされる基準」の真逆に陣取る息子は、大学受験も苦戦しそうな予感。
とはいえ本人が焦っているかといえばそんなことは一切なく、マイペースに毎日ゲームに夢中になっていらっしゃる。
「やばいって思ったらやるよ」と言っているけど、中学受験の塾の先生いわく「ヤバいって思ったときには人生終わってる」らしいので、できれば人生が終わる前には覚醒してほしいなと思っています。
息子のことばかり言っていますが、わたしも「まんべんなくできる」からかけ離れています。
学生時代は、興味のない科目はバッサリ捨てて睡眠時間に当てるか、もしくは別の科目の大学受験の問題集を解いたりしていました。
保健体育や家庭科のペーパーテストはノー勉、お裁縫が苦手で家庭科の課題の制作物を提出していなくて「あした提出しなかったら単位をやらない」と脅され、慌てて裁縫が得意な母に丸投げするというひどい状態でした。
そんなムラしかないわたしも、大学受験は一発勝負。得意科目で第一希望とはいかずとも、納得がいく大学に合格。
まんべんなくできることが評価されるなかで、できることとできないことの差が激しい自分に落ち込むことも多々ありましたが、人生50までやってきて、まんべんなくできる人だけが評価されるって変だよなぁというのが感想です。
人間はそれぞれ、いろんな素質を持っているはず。得意と苦手は当然あって、できることを伸ばすのは割と簡単で、逆にできないことをできるようにするのは大変な努力が必要です。
苦手だったとしても本人が「どうしてもできるようになりたい」と思えば努力すればいいわけですが、好きで得意なことに手を付けず、苦手で嫌いなことばかり埋めていては、人生楽しくないんじゃないかなぁ。
得意を活かして、苦手は人の手を借りる。全部自分がまんべんなくやらなくても、得意なことを苦手な人の分までカバーして、逆もまた然りで助けてもらって…というほうが世の中うまく回っていく気がするんだけど、どうでしょうか。
息子の学校生活を見ながら、根っこの部分から変わることは本当に難しいよなぁと痛感しましたが、大人になればいろんな選択肢があって、自分に合った場所も見つけられるはず。
息子は日本の基準でエリートコースに行くタイプじゃないけれど、大人になって、風通しがよくて息がしやすい、息子の個性にあった居場所があればいいなぁと思うし、それを見つけて行ってほしいなぁと思っています。
- image by:Unsplash
- ※掲載時の情報です。内容は変更になる可能性があります。