20歳年上の夫と、マイペースな高1息子を持つアラフィフ主婦ライター、塩辛いか乃です。
最近、学校に行かない選択をする子が増えているようですね。フリースクールや通信制の高校なども充実し、学校に通う以外の選択肢が増えてきているのを感じます。
学校が好きじゃない息子の場合
わが家の息子は、学校に行かないわけでも、行けないわけでもないのですが、性格的に「学校が合わない」タイプだと感じています。
息子は納得できる理由なく「そうすることになっている」としてものごとを押し付けられることが嫌いです。わたしもそうなので、遺伝なんですかね。
日本は欧米諸国に比べて「同調圧力」が強いと言われています。もともとの国民性もあるかもしれませんが、島国で長い間鎖国を敷いてきた体制や、農業主体で、村全体が協力し合わないと生きていけない生活スタイルであったことも関係しているのかもしれません。
そんな「同調圧力」は、学校では本領を発揮します。同じ年に生まれた、同じ地域に住む子どもたちを寄せ集めて、指導要領で決められた勉強をするのですから、画一的になるのは当然。
画一的だろうと何だろうと、無償で読み書き、計算などの勉強を教えてもらえるのは非常にありがたいことだとは思いますし、中学までの勉強は大人になったいま振り返ると、けっこう「常識の範囲」に入っていることが多く、知らなくても生きてはいけるけど、知っていること自体が教養になったり、自分の選択を広げるヒントになると思うので、そのことについてもわたしはありがたいなぁと思っています。
だけどそんな先のことは見えない子どもたちに、1日数時間、入れ代わり立ち代わり学科の授業が行われ、ここから大学受験まで、この「勉強」というものさしで自分を評価され続けるあたりから、話がおかしくなってきます。
勉強が好きな子にはいいけれど、やる意味がわからない・勉強におもしみを感じられない子どもにとっては、ただの「圧」であり、「なんでやらなくちゃいけないの?」案件になってしまうようなのです。
納得いかないことや、嫌いなことができない性質のわたしですが、わたしが生まれた昭和40年代後半はそれでも「学校に行くのが当たり前」な価値観だったので、学校で授業を受けることについて疑問を感じたことはありませんでした。
割とまじめなうえに勝ち気だったので、テストでいい点を取るのが快感だったし、勉強が好きなほうだったので、そこまで拒否感はありませんでした。
何かを教わることも好きで、小さいころから自分で習い事を見つけてきては、自分から習いに行っていました。10年以上続くフラメンコをはじめ、手を出した習い事は数知れず。
だけど息子に関しては、「やれと言われたことをやる」のが嫌い。習い事はスイミングやピアノなど月並みなことをいくつかさせましたが、生来「あちらからやり方を指導される、手取り足取り教わる」こと自体が好きではないようでした。自分で好きなようにやりたいタイプ。
学校生活では、集団で同じ科目を履修するので、どうしても「お仕着せ」パッケージになってしまいます。
要は学校の勉強は、息子が好まないものの集合体。クラスも時間割も決まっていて、頼んでいないのにその科目を勉強することになる。頼んでないのにテストをされて、なぜか成績を出されて、点数が取れなければ追試まである。息子からするとこの仕組みは理不尽に感じるようです。
幼いころから自分の好きなものに対しては貪欲な知識欲を持ち、恐竜や昆虫、はたらく車など図鑑がボロボロになるまで読み込んでいた息子。
小1のころから国立科学博物館の特別展に通い、特にNHKとタッグを組んだ「生命大躍進」という生物の起源を特集した企画展にドはまり。1本2時間超、全3話の特番をエンドレスで見て、内容を丸暗記していました。
そんな息子ですが、いざ学校の生物の授業となるとサッパリ興味がわかないようです。何の興味もない「メダカのからだ」とか「裸子植物」とかなので、食指が動かないよう。昆虫の分野だけはノー勉で満点を取っていましたが、「これ覚えろ」という教育自体が合わないようです。
おかげで学校の勉強はしっかりと「嫌い」になり、いまだにテスト前はほとんどノー勉で挑みます。なので、結果は当然悪い。だけど本人にとって、そのテストの点数に価値を感じないので、平然としています。
学校の勉強が生きていくうえですべてではないのはわたしも重々承知なので、うるさく言わなさ過ぎたのでしょう。
だけど、なんだかんだいってもまだ世の中は学歴社会。マイペースな息子が世知辛い世の中を渡っていけるように、せめて「学歴」という強いカードを持たせたいと思っていますが、それもなかなか難しそうです。
せめて教科書のような無味乾燥なものよりも、自分の「好き」や「知りたい」発祥でものごとを知っていけるなら、もっと豊かになるのになぁと思います。
さらに、息子は学校という制度とも相性があまりよくありません。もともと従順な兵士を育成するために作られたという学校制度。お仕着せが嫌いな息子が好きなはずがないですよね。
それは十分わかっているのですが、高校くらいまでの年代って、ほかの世界を見る機会もあまりない。
大人になってしまえば、仕事は合わなければ転職という手段で変えられるし、趣味の世界があったり、恋人ができたり、いろんな世界を自分の好みで進んでいくことができますが、いまもし学校が嫌だといっても、別の学校にホイホイ行けるわけでもなく、家で過ごすか、フリースクールみたいなところを探すかくらいしかありません。
いっそのこと、高校をやめて就職という道がないわけでもないですが、それが厳しい道なことくらいわかっているので、それは望んでいない。
息子も「こんな制度はバカバカしいから行かないぜ」というほど極まってはいないので、「なんとなく学校が嫌いだけど、なんとなく行ってる普通の子」あたりの位置にいます。
「学校メンドイ」とブーブー言いながら行っても、行っているとよく話すお友達ができたり、学校で意外とおもしろいことを教わったり、それなりに刺激があり、さまざまな人と触れ合うからこそできる経験があるので、息子には合わないなぁと思いつつも、わたしは行ったほうがいいなぁと思うので、なだめすかしたり、きょうは行きたくないと言われたらちょっと条件を付けて休ませてみたり、「楽しい行事があるよ!」とにぎやかしてテンションをあげてみたり、学校嫌いな子の学生生活をなんとかやり過ごすためにわたしも必死です。
学校めんどいという息子には、息子の性格的に学校という体質が合わないだろうということも、だけどいまの息子なら行っておいた方がいいと思うことも息子に伝えているので、「じゃあ行っとくか」と思っているみたいです。