こんにちは、椎名です。僕は身体の性が女性で心の性は定めていないセクシュアルマイノリティで、女性のパートナーと生活をともにしています。
炎上、誹謗中傷…SNSを開けば誰かが誰かへ傷つける言葉を投げかけ、批判している様子が自然と目に入ってしまう世の中。
使い方を誤れば刃となる言葉は、使い方を間違えなければ誰かの心を長年支え続ける「お守り」になることもあります。
今回は、僕がある人からもらった「言葉のお守り」について、お話しします。誰もが簡単に言葉で人を傷つけてしまう時代だからこそ、使い方を考えるきっかけになってくれたら嬉しいです。
誉め殺しのN
お守りになる言葉をくれたのは、大学で1年ほどお世話になったN先生。広告代理店のアートディレクター出身の彼には「誉め殺しのN」という変わった二つ名がありました。
その由来は彼が受け持つ広告の課題制作の授業。毎週授業冒頭に出されるテーマに沿って1時限内に広告を作成し提出する授業で、提出された課題は全て先生の添削が入り翌週生徒へ返却されます。
その添削の朱書きが、どの生徒に対しても誉める内容のものがほとんどであることから「誉め殺しのN」と呼ばれていると、同じ学科内の別の先生から伺いました。
二つ名の通り、筆者も一緒に受講していた友人たちもよく誉められていました。
田舎から上京してきて都会生まれも多い周囲の学生と自分とを比較し、ことごく自分のセンスに自信を失っていたなか、先生からの誉め言葉が並ぶ朱書きは本当に嬉しくて。
白髪交じりのいかにも好々爺といった見た目も相まって、お爺ちゃんっ子でもあった筆者はほかの授業は遅刻することや休むこともあったけど、先生の授業だけは毎週欠かさず出席したものです。
ある初夏の日に「臭い・匂い」をテーマにした課題が出たことがあって。筆者は季節を絡め夏の訪れの匂いについてイラストとコピーで制作しました。
夏の香りを感じ、子どものころよりも夏の足音が随分と足早になった気がする。そんな内容でした。
その作品にもらった朱書きが、「椎名トキっておもしろい人間ですね」という言葉で、冒頭で書いた言葉のお守り。
筆者が後に過酷な職場でものづくりを8年半続ける支えのひとつでした。
過酷だった前職の現場
卒業後は1年ほど印刷業界に勤め、自社製品を中心に掲載する商品カタログの編集部門に就職。
自社製品に合わせて紙面の企画を考え、デザイナーとともに制作していました。
決定権のあるトップからは、製作中の紙面について「馬鹿じゃねぇの」「こんなので商品が売れると思ってるのか」「ダメ、全然ダメ」と猛烈なダメ出しを食らうこともあり、クオリティの担保と納期との板挟みで何度も何度も心が折れ挫けそうになっていました。
社長報告の時間が怖くて、身体が震えるのを抑えたことだって一度や二度じゃない。
年4回の発刊で、制作期間中はほとんど毎号ストレスで吐いたし、泣いて何度も「こんな仕事辞めてやる」と思ったけど、業務内容自体は残念ながら好きでやりたいことだったので、心の底では辞めたくはない部分もあったから困りもの。
みなさんは深く落ち込みそうになったとき、大切な人たちに会ったりおいしいものを食べたり、ライブに行って推しを見たりと自分を支えるために自分なりに工夫をして困難を乗り切っているかと思います。
僕の場合、その工夫のなかのひとつが、先生がくれた言葉を思い出すことでした。
「どうして自分の考える企画はこうもダメだと言われるのだろう」と打ちひしがれる度、当時の課題をまとめたファイルを引っ張り出しては朱書きを眺め、N先生がくれた「椎名トキっておもしろい人間ですね」という言葉を思い出していました。
思い出すと、先生の言葉が太鼓判となって「大丈夫、きっといいものになる」とまた制作現場へ引き戻してくれました。
先生の言葉が背中を押して、「N先生がああ言ってくれたのだから、企画がダメでも自分自身はきっとダメじゃない」と、勇気を持つことができたのです。一度だけではなく本当に、何度も何度も。