それでいいと思って楽しんで生きていく
自分の気にしいや感受性の強さが「HSP」という気質・性質によるものだとわかってからは、そのことをまわりにも話すようになった。
というのも、私はよく人の話を聞いたり、人の一生懸命な姿を見たり、美しい景色を見たり、素晴らしいエンタメを観たり聴いたりすると、すぐに涙が湧き出てくる。なので、ふと横を見ると私が涙を流しているため、たまにまわりの人がびっくりしているということがあるからだ。
先日も、友人が「他の人には話しにくいからしていないんだけど…」とご家族についての重めの話を打ち明けてくれた。
それは彼女の兄弟に起こった出来事がきっかけで家庭内が大揺れになった話であったが、隣でただ聞いていただけの私がボロボロと涙をこぼしたため彼女の方が驚き「なんで、あんたが泣いてんの」と笑われたほどだ。つい感情移入して…とかとはまた違うのである。
いままではその感覚をうまく伝えられなかったのだが、最近は、「私どうもHSPってやつみたいでさ〜。感受性強いんだわね」ってサラッと話すと、「そうなんだね。繊細で優しいんだね〜」といってもらえることが増え、なんだか自分も安心できるような気がしている。
その感覚を得たと同時に、人と違う感覚で物事を捉えることができるのかもしれないと思えるようになり、これを自分の個性として楽しんだり、仕事に生かすほかない!と考えるようになった。
そうすることで、何かを見聞きしたり、人と出会って新しい話をしたりすることが、これまで以上に楽しみになった気がする。新しい刺激に触れた日は、帰るととても疲れているけれど(笑)。
こんな時代だからこそ、自分を知って愛でる
毎日めまぐるしく時間が過ぎて行き、多くの人が忙しなく生きている。
今年は特に、新型コロナウイルスの出現により、仕事プライベート問わず、暮らしや価値観の変換を否応なく求められ、いままでと異なる形のストレスがかかった人がたくさんいると思う。
でもこんなときだからこそ、まずは自分自身を見て、問うて、そして愛でる。そんな時間をたくさんの人が持てたらいいと思っている。そのなかで、いままで「少し生きづらい」と感じたことのある人が自分にHSPの気質があるとわかれば、ちょっとは楽になるかもしれないからだ。
筆者もコロナ禍で御多分にもれず、見事に感情を揺さぶられ、価値観も変えさせられた。「HSPの特徴」といわれるそれら部分は、私のなかでいつもより発動しまくったように感じる。
でもこんなときだからこそ、自分自身をまた見つめ、愛で直すことができたと感じている。その証拠に、大勢の人と会わなくてよい環境への引っ越しを即決した自分がいた。
そばにいる人たちの言動や行動、世に起きる事象を敏感に受け取り、自分のなかで何かモヤモヤしたものが発動するとき、いまの私は海辺でさざ波の音を聴き癒されている。そして、また自分を愛する素晴らしさを思いだす。最高に夕日が綺麗な日は、涙を流しながら。
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