インフルエンザに加え、新型コロナウイルスという未知の存在もあいまって、ママたちも一層不安とともに対策を考えなければいけない時代になっています。
なかには「学級閉鎖」になったというかたもいるでしょう。我が家の子どもたちは中学2年生、小学5年生とすっかり大きくなったので、突然の体調異変もほぼなくなってきたのはありがたいことです。
子どもが小さかったころ。ある朝、突然体調不良をうったえてくると、その瞬間わたしはいつもドキっとして、その日の仕事が頭をよぎります。「うわ、きょうの仕事はなんだっけ!」と手帳を確認し、「どうしよう」と不安になるのです。
どこかで「仕事とわが子の天秤をかけている」そんな気がしてしまいます。これまでも、ずっとそうでした。仕事をしている母親にとって、子どもの病気はいつだって緊急事態。
私は6年前まで会社員でした。会社勤めをしていると自分の仕事だけではなく、社内外の打ち合わせもあります。特に、得意先との打ち合わせ、自分がその責任者ともなると代えがきかないことがほとんど。
頭のなかで、ぐるぐるぐるぐる「どうしよう」「どうにかならないか」となんとか手だてを探し始めます。そのとき、頼りにしていたのが「病児保育」でした。病院がやっている保育施設で病気の子どもでも1日預かってくれるのです。
保育園に通っている子限定ですし、もちろん定員があいていて予約が取れたら…なのですが。病院に電話しつつ、夫とも「あなたのきょうの予定は?」「病院につれていけない?」「どうする!?」と、大騒ぎでした。
病気のわが子をおいて働く罪悪感
いまでも忘れられない思い出があります。あれは長男が1歳半ごろのこと。その日も、突然の発熱でした。でも、私も夫も仕事は休めません。
かかりつけの小児科を受診し、いつもの病児保育を利用しようとしたところ、満員で入れませんでした。困っていると住んでいる場所からタクシーで20分くらいの場所にもうひとつ、その先生が担当している病児保育の施設があるとのこと。そちらなら入れるとすすめてくださったのです。
行き帰りのことを思うと、「遠くてイヤだな」と思いましたが、背に腹はかえられません。初めての病児保育施設に、夫とともに息子を連れていきました。
そして初めての場所に1歳半の息子を預け、施設を出ようとしたそのとき。息子が察知し、大泣きし始めたのです。そりゃそうですよね。まだ1歳半と幼いのに、見たこともない場所で知らない人に預けられ、親が立ち去ってしまうんですもの。
何が起きているか、わかりようもないわが子。悲鳴のような泣き声がこだましました。私は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、でも振り返っても余計悲しみを長引かせるだけだと、振り返らずに扉の外に出ました。
けれども大声で泣き叫ぶわが子の声は耳に残ったまま。私は鼻先がツンと痛くなり、歯を食いしばりました。でも、とうとう堪えきれず、通勤する人々が通る道ばたで泣き崩れました。
「何のために私は、病気のわが子を置いていくの?」「何のために私は、働いているというのだろう」。罪悪感とともに胸がしめつけられ、朝の青山でおいおいと泣いたのでした(10年以上前の出来事なのに、書きながらいまも涙がにじみます)。
座り込んで泣く私の背中を、夫はただただ静かにさすってくれました。そうしてひとしきり泣いたあと、私は出勤したのです。
それからも、数えきれないほど近所の病児保育にはお世話になりました。でも、あの施設にわが子を預けたのはあれが最初で最後です。あの日の悲しみは強烈で、二度とあそこには預けられませんでした。とても清潔で、先生がたも優しく、ステキな施設だったんですけどね…。