一緒に暮らした1カ月
2011年3月、東日本大震災。このとき、僕は親元を離れて関東の大学で就活生をしていました。彼女も僕の最寄駅からそう遠くないところに部屋を借りて、一足先に社会人として働いていました。
僕らの住んでいた地域は幸いにも被害がそう大きくなかったものの、離れて暮らすお互いの家族はとても心配だったようです。僕と彼女が付き合っていたことは知りませんが、中学生のころから仲のよい友人であることを知っている家族から、「一緒にいさせてもらうことはできないの?」といわれました。
お互いひとり暮らしをはじめてからも、彼女とは相変わらず趣味が合うためお互いの家を行き来していたので、期間限定なら一緒にいられる気がしたのと、「たしかにひとりでいるよりは…」と思い、家族を安心させるためにも彼女の家に1カ月ほど転がり込むことに。
当時は春休み中で授業はなく、震災の影響で就活もバイトも中止が相次ぎ、特にやることもありません。家事も苦ではないタイプだったので、毎日彼女の家で家事をしながら帰りを待つ日々を過ごしました。
余震もあるなかで、ひとりでいたら不安ばかりが募ったことでしょう。日中はひとりでも、彼女が帰ってくる部屋で過ごすことでかなりの安心感がありました。
その当時は正確には付き合っていない状態でしたが、毎日のように家で待つ僕を相変わらず心配したり、僕のことをよく考えてくれる彼女を見て、僕もいい加減目を背けずに彼女にちゃんと向き合いたい、応えたいと思うようになったのです。
「一緒に住もう」
正直にいえば本格的な同棲開始までの僕たちは、1カ月間の同棲期間中と変わらず、付き合っているとも付き合っていないともいえるとても曖昧な関係でした。
彼女の態度がずっと変わらなかったので、それに甘えていた部分もあったと思います。好きで一緒にいたいけれど、彼女は男性のことも好きになれるということを考えると、彼女の人生を決めてしまうようではっきりさせることが怖かった。
しかしもしこのまま曖昧なままでいて、「いつか彼女がほかの男性と結婚してしまうのでは?」と考えると、変わらず友人でいられるとはもう思えなくなっていました。
それならどうすればいいか。その答えが、「一緒に住もう」と伝えることでした。1カ月間の同棲から数年後、お互いの賃貸マンションの更新のタイミングでやっと伝えることができた。出会ってからおよそ14年の秋のことでした。このときも、初めて告白した日と同様に彼女は僕の提案にうなずいてくれました。
僕としては彼女と向き合うと決めたところなので、一緒に住むにあたってふたりのことを家族、せめて親には話したいと思いました。筋を通すつもりでいましたが、同棲を承諾してもらったことに舞い上がっていたようにも思います。
まず、僕の母へカムアウト。なんとなく実家で暮らしていたころからの言動で、僕がいわゆる「普通の女の子」ではないことを薄々勘づいていたそうです。そのため母からは反対されませんでした。父へのカムアウトはというと、このタイミングでは叶わず、もう少し後のお話になります。
彼女もお母さんにカムアウトをし、彼女のお母さんはショックを受けていたものの、ひとまずは受け入れてもらえたとのことで、晴れて一緒に暮らせることに。不動産屋には友人同士のルームシェアと話して、2DKのマンションを契約しました。これが、僕たちの最初の我が家です。