「LGBTQ」映画4選
ここからは、LGBTQ当事者である私が、いままでにみてきたなかで特に印象に残ったLGBTQ映画を紹介します。
『トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして』/サム・フェダー(2020年1月27日)
Netflix配信の『トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして』。この作品は、映画やドラマシーンで描かれたトランスジェンダー像について、当事者の映画関係者たちが想いを語る作品です。トランスジェンダーとは、生まれたときに割り当てられた性別と、自認している性別が異なる人のこと。
現代の映画市場でも、トランスジェンダー当事者を既存のステレオタイプに当てはめ、演出する(させられる)ことは多くあります。本作のなかでは、トランスジェンダー女性が局部を露わにし気持ち悪がられるシーンや、黒人トランスジェンダーを脅威に映し出すシーンなど、見るに耐えない場面も多くありました。
トランスジェンダー当事者に対する差別や偏見がないという人でも、この映画を観て「実は無意識に差別に加担していたのかもしれない」と意見を述べることもあり、それほど、内在化したトランスフォビア(トランスジェンダー嫌悪)が世の中にありふれているのだと実感させられるでしょう。
トランスジェンダーにおける問題を映し出すとともに、現代の社会問題を投影したこの作品を通して、「いままで自然と受け入れてきた描写が、実は差別的表現であった」と初めて気づく人も多いのではないでしょうか。
『バウンド』/リリー・ウォシャウスキー、ラナ・ウォシャウスキー(1997年7月5日)
レズビアンの元強盗コーキーと、彼女の隣室に住むヴァイオレットが恋に落ちる物語。ヴァイオレットはマフィアとの同居生活に耐えられなくなり、コーキーとともに彼の大金を盗んで脱走する作戦を練ります。そこで起こるさまざまな出来事が見るひとをドキドキさせる、スリル満点の映画です。
この映画の一番の特徴は、同性愛を特別視していないこと。レズビアン映画となると、どうしても非現実的に描かれやすい傾向にありますが、「同性愛者だから」という理由で物語が進んでおらず、違和感なくみることができました。
それもそのはず、『バウンド』の監督であるウォシャウスキー姉妹は、トランスジェンダー当事者。もともとLGBTQに理解があったのだと考えられます。
『Love, サイモン 17歳の告白』/グレッグ・バーランティ(2018年3月16日)
ベッキー・アルバータリの小説『サイモンvs人類平等化計画』を映画化した『Love, サイモン 17歳の告白』は、ゲイの男子高校生の恋愛を題材にした物語。
主人公サイモンは、ネット上で「ゲイ」であることを公にした匿名の同級生に恋をし、連絡を取り合うことに。ですが、メールの履歴を同級生に見られたことがきっかけで、サイモンがゲイであることがバレてしまいました。
サイモンがゲイであることを秘密にすることと交換条件で、秘密を知った同級生の恋愛の取り持ち役(媒介役)になったサイモン。しかし、サイモンは自分の秘密を打ち明けられず、苦しみが大きくなっていきます。多くのLGBTQ当事者が抱える悩みを描いた一作です。
本作では、SNSが普及する現代ならではの問題が映し出されています。誰でもアウティング(本人のセクシュアリティを許可なく第三者に伝えること)の加害者となりうること。誰もが経験するような学生時代の出来事でも、性的マイノリティにとっては息苦しさを感じて過ごすこともあるということ。
この映画の舞台はアメリカでしたが、日本のセクシュアルマイノリティと同じようにセクシュアリティを公言できない主人公をみて、「自由の国」として有名なアメリカでさえもLGBTQに関する課題があり、世界共通の大きな問題なのだと実感しました。
世の中がLGBTQについて知るようになり、数年後には「カミングアウト」や「LGBTQ」にフォーカスした映画が少なくなることを願っています。
『アデル、ブルーは熱い色』/アブデラティフ・ケシシュ(2014年3月22日)
『アデル、ブルーは熱い色』は、女性同士の恋愛を描いたフランス映画。主人公のアデルが、道で通りかかった画家のエマに心奪われるシーンから始まります。
後日、アデルとエマは偶然バーで居合わせることとなり、お互い惹かれ合うことに。ですが、ある日を境にエマの態度が急変。寂しさを紛らわすためにアデルは愚かな行動に出てしまい…。
この作品は、カップル間で起こりうる「浮気」や「価値観の違い」の問題をふたりの関係性を通して写実的に投影しています。そしてこの映画の印象的ともいえるカラダを重ねるシーンは、ほかのレズビアン映画と比べても多く描かれていました。
親密なシーンを撮影するのならば、演者の気持ちを尊重することはいうまでもないはず。ですが、主演女優ふたりは「ケシシュ監督とは二度と働きたくない」と言っていた事実もあります。
10日間にわたるカラダを重ねるシーンの撮影は屈辱的であったと語り、エマ演じるレア・セドゥは、「同意書にサインをしたら、すべてを捧げなければならない」と言及。この話を知ってからは、単純に映画の物語だけでなく、映画を制作する工程に関しても慎重に考えるべきだと実感しました。
LGBTQの映画が増えてきたものの、不自然と思えるような作品も多く存在します。また、作品そのものの評価だけでなく、作品をつくる工程での人との向き合い方、撮影方法などを考慮すること、そしてジェンダーやセクシャリティだけでなく、人種やメンタルヘルスなどの社会問題を映し出すのならば、想像だけで作品をつくろうとするのではなく、制作段階で当事者の目を通すことが重要なのではないでしょうか。
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