夫婦だけの夜
「お疲れさま」
「どうだった、マッサージ」
「うん、ちょっと身体が軽くなった感じがする」
「さすがの技術だね、鈴木さん」
「鈴木さん、冴島さんが子どものお迎えに行ってると思ってるよ」
「ははは。そっか、子どもがいると思ってるんだもんね」
「もし今後冴島さんが行くことになったら、話合わせてね、一応」
「了解。お店、どっちだっけ?」
「商店街のクリーニング屋さんを左に曲がって、しばらく行ったところみたい」
きょうは仕事帰りに待ち合わせて、最近近所にオープンした和風バルにふたりで行く約束をしていた。冴島はお酒が弱く、真依子も特別強いわけではないのだが、最近は月に数回、近所の飲食店を開拓するのが趣味のひとつになっている。
真依子たちが住む街はそこそこ人口も多く、若者に人気のエリアとして知られているが、幅広い属性の人を受け入れている懐深い感じが住みやすく気にいっている。
学生やフリーター、夢追い人、外国人、ファミリー、シニア、そして、真依子たちのように子どもがいない夫婦。夫婦なのかカップルなのか、そのどちらでもない関係性なのかわからない、大人の男女もよく見かける。
金曜日の19時過ぎということで、商店街は賑わっている。ベビーカーや抱っこひも、手をつないで子どもを連れ談笑する男女とすれ違うたび、冴島はたいして気にしていないように見えるが、真依子は自然と、そちらのほうを見ないようにしてしまう自分に気づく。
それでもこうやって東京に住み、東京の会社で夫婦共働きをしているという境遇が、気持ちの面で自分を責めすぎずに済んでいるところはあるかもしれない。自分を責めたところで何かが変わるわけではないのだから、自虐的になること自体、やめるべきなのだけれど。
スマートフォンに示された地図をたよりに、探しだしたバルにふたりで入る。着席してまもなくやってきた一杯目のビールに口をつけると、真依子の頭は、次に何を注文しようかということでいっぱいになった。