子育て応援の社会
昼食を済ませて仕事に戻ると、メールボックスには複数のメッセージが届いていた。そのうちのひとつに、めずらしく人事部からのメールがあった。開いてさっと目を通すと、社内の採用ページに掲載する子育て中の女性社員のインタビューを掲載したいので、真依子の部署でも協力者を募ってほしい、というものだった。
真依子は、内心複雑な気分になる。真依子の会社にはもともと女性社員が一定数いるが、時代の流れもあって、近年では「女性が働きやすい会社」のPRに力を入れている。
「女性が働きやすい」というのは結局のところ「子育てとの両立がしやすい」ということを指しているのは自明の理だ。そしてそれは、子どもがいない女性の仕事と家庭の両立が「そこまで大変ではない」と言われているような気がするのは、卑屈な考え方だろうか。
仕事だけに時間をかけられる私は、応援されない存在ってことか。誰もそんなことは言ってないのに、ついそう言いたくなってしまう。勝手に、打ちのめされたような気分になるのだ。
子どもがいないという現状でも変に自分が意地になりすぎることがないのは、真依子が社内の同年代のなかではある程度評価を受けているほうであることと、既婚者であることだ。
そのふたつが自分の拠りどころになっている部分は、確実にあるとは思う。真依子は主任、係長と順当に出世し、いまは課長だ。このままいけば、部長の席もそう遠くはない。
そのどちらかが欠けていたら、真依子はもう「いたたまれなかった」と思うし、周囲にもきつくあたってしまっていたかもしれない。人間、なにも持っていない満たされない状態では、なかなか優しくなれないのが実際のところだ。
「ありのままの自分を認める」ことが大事だと、よく見聞きする。それでも自分の存在意義を見出すのは簡単ではなくて、そして多くの人は、それが「子ども」なんじゃないだろうか。真依子も、子どもがいれば、もっと寛容になれたかもしれない、とは思うことがある。
なんか最近、こんなことばっかり考えてるな。とりあえず、仕事仕事。真依子は我に返り、返信のメールを打ち始めた。