「美しくなりたい」私たちの永遠のテーマを考える
「綺麗になれば強くなるんだよ」
沢尻エリカ主演、蜷川実花監督で実写化された映画『ヘルタースケルター』の主人公・りりこが放った言葉だ。『ヘルタースケルター』は、全身を整形したりりこが美しさを手に入れ、富と名声を自分のものにした末、美しさに執着するあまり身を滅ぼし堕ちていく物語。
私は“整形”という言葉を聞くと、りりこを思い出す。話自体は一見悲しいものであるように思えるが、お金を使ってでも美しさを手に入れようとするりりこの気持ちや、美しくなることに対して貪欲なりりこの姿に共感し、憧れる女性も少なくないだろう。
「美しくなりたい」そんな気持ちを抱いて生きる女性は世界中にあふれている。美しくなるための道具、場所、食べもの等々、Googleで検索すれば数多正解が出てくる世の中で多くの人がそれらを生産し消費している。
私もそのひとり。朝はプロテインを飲み、できる限りヘルシーなランチを食べて、お風呂は長く浸かるしマッサージもする。お金が許す限りはエステにも行きたいし、マツエクだってやりたい。
40代に差し掛かれば、きっとシワやほうれい線の改善などの効果が期待されている「プラセンタ注射」に頼ってしまうと思う。そう考えると、「美しくなりたい」という欲望は消え失せることなく、美しくなる方法は無限にあるようにも感じる。でも、もしかしたら美しさなんて一生手に入らないような気もする。
これを読んでいるあなたはどうだろう。どんな手を使っても美しくなりたいと思っている、またはできるだけ自然な状態で美しくありたいと思うだろうか。それとも、美しくなりたいという気持ちを失っている状態だろうか。きょうは私たちの「美しさ」への価値観と選択について考えていきたい。
整形を隠さない人が8割。昨今の整形観
美容整形というと、「親からもらった大事な体に傷をつける」「自然じゃない」というイメージがあったものだが、昨今はその価値観は古くなっているようだ。
MUSEE MAKETINGによると、20歳から34歳の女性1,058名にアンケートを行った結果、整形をした人のうち79%が「整形を隠さない」と回答したという。整形をした部位は二重まぶたや鼻、シミやホクロそして脂肪吸引など顔から身体まで多岐に及ぶ。
人生最大の決断のひとつとして整形した人もいれば、 エステにいくのと同じ(日々のメンテナンスをするような)感覚で行った人もいるだろう。
私が高校生だったころ、友達と女子トイレで鏡を見ながらアイプチをしたり授業中ずっと鼻を摘んで形を変えようとしたり、少しでも自分のコンプレックスを変えようと努力したものだ。
他人から見たらそこまで気にならないことも、鏡に映る自分を見たらそこしか目に入らないものだった。一生付きまとわれると思っていたコンプレックスを整形ひとつで変えられるのだとしたら、安いものかもしれない。
鏡の前で一緒に並んで自分の顔を見つめていた友達も、二重まぶたの整形を行った。彼女と食事をするために待ち合わせし顔を合わせたときも、私は整形に気づかなかった。
というのは、その整形したまぶたがとても自然であり、そして彼女は高校時代からアイプチやメイクで二重まぶたのアーモンドアイを作っていたからだった。彼女にとって整形はその手間を省く手段のように思えたし、彼女のメイクアップ方法のひとつにしか見えなかった。
「美しくありたい」と新しい洋服を着たりアイラインを引いたりする延長線上に整形がある。このように、最近の整形に対する価値観はカジュアルになっているのだと感じるのだ。