完璧を作り上げる過程を見せたソーシャルメディア
整形することは隠すことではないという価値観。そこには、人々の生活の中心となるメディアがテレビなどのマスメディアから、SNSやYouTubeなどのソーシャルメディアに変わったという背景があるのではないだろうか。
人々がテレビによって発信されるコンテンツを中心に生活していたころは、画面のなかの完璧に作られたものに憧れるだけだったし、その完璧さは画面のなかにいられる特別な人たちだけのものだと思っていた。
けれども、YouTubeやSNSではその完璧な状態を作る過程を見せ、完璧じゃない状態でも発信するというコンテンツが中心となった。
「美しくなる」ということに関して言えば、メイクアップ動画や朝のルーティン動画など、一般的に「美しくない」と思われる状態からどのようにして美しくなるかが発信され、完璧な状態がすべてじゃないという価値観を作った。
また、マスメディアのように限られた枠に縛られず誰でも発信できることから、視聴者と同じ目線の発信者が美しくなっていく様子を見られるようになったことで、人々が「作り上げる美しさ」を隠さなくり、それを恥ずかしいと思わなくなった。
だからこそ、整形に関しても「人工的に手を加えたもの」というマイナスなイメージから「美しさを手に入れるための過程のひとつ」になったのではないだろうか。
ありのままが美しい。ルッキズムへの反発
美しくなるための過程を見せ、それを肯定したソーシャルメディア。そこで広まった正反対の考え方として、“ルッキズム”がある。
これは外見至上主義とも呼ばれ、「世間一般的に美しい」と思われるものとそうでないものにわけて評価することを、差別と見なすもの。外見によって判断をされることに警鐘を鳴らし、ありのままの自分を受け入れるということを肯定するものだ。
世の中には「体重はこれくらいが美容体重」「体毛はない方が美しい」などの“一般的に美しい”とされる価値基準が存在する。整形はその価値基準に沿って行われるものだろうし、脱毛サロンも「体毛=汚い・美しくない」という価値基準のもと作られた。
けれど、みんなと同じように「美しくなりたい」とその価値基準を目指して努力するなかで、「この努力はなにか違うのではないか?」と思った人々がいるはず。
そんな人々の違和感を言葉にし、ありのままを受け入れようという運動が、「#BODY POSITIVE」や「#FILTERDROP」、「#JanuHairy」だ。
「#BODY POSITIVE」はありのままの体型や体重を、「#FILTERDROP」は画像加工しない肌を、「#JanuHairy」はありのままの体毛を受け入れようというもので、どれもSNSを中心に人々に広まり、話題となったものだ。
これらの考え方に共感し、その運動に加わる意味でSNS投稿する人なども現れた。その声の多さからか、化粧品会社や美容用品会社では「ありのままを受け入れる」ということを推奨する広告や製品が多数作られるという流れが起きている。
私の周りでも、ファンデーションで肌を塗り固めるのではなく素肌で外を歩くようになった女性や、無理にダイエットするのではなく自分が心地よく生きられる体型で生活する人なども増えてきているように感じる。
ソーシャルメディアによって広まった完璧な状態がすべてじゃないという価値観は、ありのままでいることも肯定したようだ。