一面ガラス張りの先に見えるのは、航空会社の赤い飛行機。滑走路を飛び立ったのは青いほうの飛行機。あれはどこへ向かうのだろうか。
ここは羽田空港第一ターミナル。諸事情でよく訪れる羽田は、相変わらず誰かがどこかへ旅立ち、どこからか帰ってくる。私は目的を持った人だけが行き交うこの場所が好きだ。
予定ではいまごろ、ベトナムで新しい人生を送っているはずだった。コロナ禍に入る前、ベトナム人の友人との再会を目的にベトナムへ飛び、人生を変えるほどの体験をし魅了された私は、日本を離れて暮らそうと本気で思っていたし、そのためにもお金を貯め語学を勉強できる仕事をしようと転職したりもした。
「さあこれから新しい人生が始まる!」と、肩で風を切って新しい職場で働き始めて1カ月。
一回目の緊急事態宣言が発出された。
みるみるうちに東京都内の感染者は増え続けている。2020年から春休みもGWも夏休みも冬休みも、2021年に入ってさらに春休みもGWも夏休みも返上している読者のみなさま。いかがお過ごしでしょうか。
新型コロナウイルスは留まることなく広がり、いつになったら周りの目を気にせずに大声で飲み会をしたり旅行をしたりすることができるのだろうと、途方に暮れている人が国民の多くを占めているはず。“コロナ鬱”という言葉ができるほど、救いのないように思えるこの状況にメンタルを壊しているひともいるのではないだろうか。
私もその一人で、コロナ禍で人生が変わったと言っても過言ではないほど想像とは違った毎日を送っていて、気づいたら25歳になっていた。
いま、このまま20代が終わってしまうという焦燥感に駆られながら生きている。人生のターニングポイントと言えるこの一年を通して削っては修復してを繰り返しながらメンタルを保ってきた。
始めた丁寧な生活と新しい彼氏
遡ること一年半前。「中国という近い国で流行しているらしいよ」くらいに思っていた新型コロナウイルスの猛威が日本に訪れた。
中国だけでの出来事だと楽観視していた私は、国際交流が途絶える少し前の2月までベトナムにいて、「夏にまた来るね、次は海にでも行こうか」なんて話していた。
ところがその1カ月後の3月には国際線封鎖、4月には緊急事態宣言で外出まで制限されることとなっていた。ついこの間まで海の向こうにいたのに、玄関の外へ出ることすらはばかれる事態に気持ちは追いつかず、そのうえ転職先は国際交流に関連するものであったため休業。完全に出鼻を挫かれたと思った。
意気揚々と新しい人生のスタートを切ったはずだったのに。ニュースでは感染者の数と総理の会見が流れ、Instagramでは“おうち時間” のタグと“うちで踊ろう動画” が上がり、Twitterのタイムラインではうつうつとした不満で埋め尽くされていた。
私の住む家は、13平米のワンルーム(あえて何畳かで表さないのわかりやすいほどの狭さを隠したいちょっとした抵抗からである)。アクティブで仕事好きの私はほとんど寝るだけの目的であった場所に四六時中いることとなった。
必要最低限のものしかない部屋にこもるのは、いくらなんでも辛すぎる。そう思った私は100円ショップと無印用品で収納グッズや調理器具をそろえた。
大掃除をしながら部屋を整理し、いままでただ置いてあるだけだったものたちをどんどん収納グッズのなかへ仕舞っていく。快感だった。
店頭に並んでいたままのものたちが、やっと自分のものになった感覚。買った瞬間自分のものになるのではなく、収納したときに自分のものになるのだと思った。そこからというものの、「丁寧に生活をする」をテーマに生きることにハマり出した。
時間は山ほどあった。午前10時ごろに起きたらヨガをし、昼ごろにご飯を食べる。美容系YouTuberの動画を見ながらメイクの練習をして自撮りをしたり、コラムを書いたりして午後を過ごし、夕飯の買い出し。レシピを見ながら丁寧に作った夕ご飯を食べ、長風呂し、就寝。SNSにその様子をあげたりした。
彼氏の実家は小さなお寿司屋さんを営んでいたため、たまに人目をはばかりながら遊びに行ったりもしていた。長く付き合っていた彼氏と別れた直後にアプローチされ、付き合ったばかりの彼だった。
彼との時間にも余裕があって、丁寧な生活により別れたショックも癒せる。人生の夏休みだと思った。でもそれは一瞬のまやかしであった。