最後のチャンス
干支飾りなどを購入していた父と合流し、再び車に乗り込みました。母の元へ向かう車内での時間は、あと10分少々。
走り出した車のなか、緊張で手がまるで氷のように冷たくなっているのが自分でもわかりました。そしてこの数日の間に何度も飲み込んできた言葉を、勢いに任せて吐き出したのです。
「あのさ、私、今年30になるじゃない?それで、言っておきたいんだけど…」
普段と変わらない父の横顔は、やっぱり見れません。冷たくなった指先に視線を落とし、ゆっくり言葉を練って口から出しました。
「多分私は、一生結婚をしないと思う」
車内では父が好きなアーティストの曲がかかっているはずなのに、僕の耳に届きません。まるで無音のような空気が充満し、肺が押しつぶされてしまいそうでした。
この年になるまで、父はおろか母にも恋人を紹介したことがない。正確に言えば、男性とだけれど僕に結婚する気がないことはもしかしたら薄々感づいていたかもしれない。
「…まぁそれはお前の人生だからなぁ」
数拍開けて父が返した言葉は、口調こそ冷静だったけれど、どこか寂しそうでもありました。
違う。僕は男性と結婚しないというだけで、ひとりで生きていくわけではないということが言いたいのであって、ここで話を切ってしまったら本当の意味を伝えることができない。
「もしかしたらテレビとかで聞いたことあるかもしれないけど、」
意を決して言葉を続けました。
「私はLGBT当事者で、男の人と恋愛はできない。だから男の人とは、結婚しない」
顔なんか絶対に見れないし、冷たいのと泣きそうなのとで冷たい手のひらは感覚すら失ってしまいそう。
「そうか…」
何かしら考えているとは思うけれど、批判する言葉は父から出てきませんでした。
まだ手は、相変わらず冷たい。それでも少なくとも受け止めようとはしてくれているのを感じ、やっと言葉に出来たことに少しだけ安心しました。
「本当は、昨夜とかその前とか、晩酌の時に言おうと思ったんだけど、お父さん寝ちゃうから」と、この帰省で伝えたかったことを話すと「でもこういうことは、飲んでないときに話すほうがいいかもしれないよ」と、そこだけははっきりと否定。その言葉を、それだけ真剣に聞いてくれる気だったのだと僕は受け取りました。
相手が幼馴染の彼女であること、父に黙ってフォトウェディングを挙げたこと、本当はそのときに話したかったけれど勇気がなくてずっと言えなかったことも話すことができました。
言えなかったことも、無理に周りに言う必要もないことも含め、「お前の人生だから」と言ってくれたことにも感謝しています。もしかしたら、僕だけではなく自分自身にも「娘の人生だから」と言い聞かせていたのかもしれないと、あとになって思いました。
カムアウトをした娘と、父。それから…
父とは相変わらずそれなりになかよくしていて、彼女とのウェディングフォトも後日見せることができました。
感染者数が落ち着いてきた最近は、久しぶりに僕らが暮らす地域まで遊びに来ています。彼女のことも変わらず実の娘のように接してくれていて、それに応えるように彼女も父を大切にしてくれている現状が、どちらに対してもありがたいです。
母との離婚の原因となった確執は、事実として消えることはなく生涯忘れないつもりで、それが父のためでもあると考えています。
しかしそれ以上に、父が僕と彼女とのことを受け入れて、理解しようとしながら変わらず接し、ときに惜しみなく協力してくれていることを感謝しているのです。
おみくじの結果の文末の通り、元の困難であったときのことを忘れないように、こうして文章も書いています。今年の年末は、いまのところ実家へ帰省する予定。アルコールが入ると早く寝てしまう父に合わせて、早めの時間の晩酌をしたいと思います。
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