大晦日、そして1月1日
日中は祖母の手伝いなどで父と込み入った話をするタイミングはなく、いつも通り夕飯の年越しそばを食べて父の運転で彼女の実家へ。
その道中もあわよくばカムアウトできないかと伺ったけれど、会話の糸口を見つけることはできませんでした。
車内では、僕が父にと持ってきた好きなバンドのアルバムの、夜によく似合う曲が大晦日の夜空に溶けるようにかかっていて。その曲を「この曲いいね」なんて何気なく言う父の横顔を僕は見ることができませんでした。
父の思うであろう“男性と結婚して孫の顔を見せる未来”を選ばなかったことを後悔こそしていないけれど、少しも申し訳ないと思っていないと言えばそれは嘘だ。
親子仲が悪いままだったら違ったかもしれないけれど、そう思える程度に僕らは親子らしくいられるようになっていました。
程なくして彼女の実家に到着、父は僕を降ろして彼女の両親に軽く挨拶をすると帰って行きました。それは、僕以外にとっては紛れもなくいつもと変わらない年末の風景でした。
余談ですが、彼女の家もカムアウトを済ませたのはお母さんだけ。彼女のお母さんからの希望があり、お父さんには僕たちの関係を明かしていません。あくまで彼女の家やご両親の間の問題で僕が何か言える立場ではないけれど、僕にもよくしてくれる彼女のお父さんへも申し訳なさがあるのは確かです。
そんな気持ちがありながらも、例年通り紅白歌合戦と民放各局の特番を行ったり来たりしながら、楽しく年越しを過ごしました。
明くる1月1日の朝、迎えに来た父の車で、彼女と3人で福袋を買いに行き、彼女を家まで送ったあとまた実家へと帰りました。
午後からは父方の親類が集まり、夜まで祖父母を囲み、宴会。相変わらず「ほんとうはいい彼がいるんでしょう?」なんて、もはや言われ慣れてしまった決まり文句を振られては適当に返したりする場面もあったものの、それを含めてこちらも例年通り。
夕飯時を過ぎると親類たちはそれぞれ帰っていき、片付けを済ませればいよいよ晩酌…のはずでした。
「お父さん先に寝るから、晩酌するならゆっくりやってていいからな」
宴席では特段いつもより多く飲んでいたようには見えなかったけれど、年齢によるものか仕事の年末進行の忙しさがたたったのか、父は晩酌をせずにそのまま寝てしまいました。
カムアウトしやすさ重視で晩酌時を狙ったのが、かえって失敗だったかもしれない。最後のチャンスがあるとしたら翌日、父と初詣をしたあと母の家に向うまでの道中のどこかでした。
運命のおみくじ
初詣をする神社までは、車で30分ほど。タイミングを伺うほどに口数は減り、かえって話しにくい沈黙だけが延々と続きました。
道が混んでいないのも、普段なら幸いであるはずなのに、このときばかりは恨めしかった。幼いころから通った神社までの道のりはこんなにあっという間だったろうか…。
やっと話したとしても、会話の合間で何度も何度も言葉が喉元まで出掛かかっては、いつのまにか話題は他愛もない話題に差し替わり、本当に言いたいことはどんどん飲み込まれて、結局神社に着いてしまいました。
不完全燃焼な状況で気乗りしないまま、昨年購入したお守りを返し、お参りを済ませ、お守りを購入。最後におみくじを引きました。
結果は、当たり障りのない「吉」。この神社のおみくじには凶、吉、大吉などのおみくじの結果と各項目の内訳のほかに、その結果がどういう意味をもっているのかという短い文が添えられています。
この日引いた吉には、僕にとって大吉に相当する言葉が添えられていました。内容はこうです。
「暗(やみ)に燈火(ともしび)を得たるが如し。是迄(これまで)諸事困難であったのが、灯火を得て万事良くなって来たのである。但し、元の困難であった時の事を忘れてはならない」
内訳の一部にはこう書かれていました。
「思い立てること 着手してよい」
「願い事 叶う」
自分のセクシュアリティに迷って、悩んで、生き難さを抱えながら歩んできたこれまで。向き合ってくれた彼女の存在。彼女とのフォトウェディングがきっかけでカムアウトをし、同僚をはじめとした理解者が増えたことなどを思い返させるような内容でした。
おみくじの結果を信じるならば、言い難くなるほど関係を改善できているならば、カムアウトをしたとしても父とはこれまで通りの関係性でいられるかもしれない。
たかがおみくじかもしれないけれど、この結果は僕の背中を強く押してくれました。父に、言おう。