一人一人違う「美のスタンダード」がある
コンプレックスは、環境や触れる情報など、そのときどきによって変わることがあります。
私は以前アメリカに留学していたのですが、留学前までは細くて色白で目が大きい女性が美しいと思っていました。しかし、現地ではお尻が大きくて、痩せているよりも肉感のある人がセクシーとされていたのです。
そして、アジア人のコンプレックスともいわれる一重を見て、美しいと褒める人もたくさんいました。
海を渡れば同じ姿でも違う受け取り方をされることがあり、美のスタンダードというのは、人それぞれなのだと感じました。
たとえば、日本で見るモデルは細身で高身長な人が多いですが、アニメが元となる舞台で演じる女性役者は、低身長が好まれることもあります。
このように、自分が置かれる環境や触れる情報によって、理想とされる姿が変化していくのです。
なので、置かれた環境にいる人たちが期待する姿に自分を当てはめようとすることは、自分の根底にある美意識を変えることになります。
そのことに気づいてから、「そこまでして自分を変える必要はないし、自分のもつ美意識を大切にしよう」と少しずつ思えるようになりました。
キラキラした生活だけを発信しない新しい世代
「脚は短いより長いほうがいいし、顔は大きいより小さいほうがいい」と考える人が多いことは、共通した美のスタンダードがデフォルト化された日本社会では珍しくありません。
ですが、それらよしとされるものをすべてを兼ね備えている人は本当にいるのでしょうか。
どんなにスレンダーで美しい女性でも、裏では悩みを抱えているかもしれないし、見た目、仕事、プライベートすべてが完璧にみえるような芸能人でも、ストレスから休業なんて報道も耳にします。
誰もが苦悩を抱えていることを無視して、表でしか見えない部分でその人を評価することは現代人の課題といえるでしょう。
キラキラした生活や自分の姿だけを発信する人がいると同時に、特にZ世代と呼ばれる若者世代のなかでは、自分の弱みをSNS上でさらけ出す人も増えてきました。
理想主義が特徴のひとつ上のミレニアル世代と比べ、Z世代はより現実主義な考えをもつ傾向にあるといわれています。
そんなZ世代は、「ネガティブだからダメ」「問題があるからダメ」と白黒で決めつけるのではなく、無理にポジティブに変えようとせず一緒に向き合っていくことを重視しているように見えます。
コンプレックスや自分を愛することよりも、自分のあり方を認識することにシフトチェンジし、自分自身へのハードルを下げることが楽に生きる方法なのですね。