子宮頚がん初期異形成。私の身に襲いかかったもの
他人事だと思っていた問題は私の身に大きく降りかかることとなった。
私は大学を卒業後、芸能活動をしながら生活のためにさまざまな仕事をし、その最中コロナ禍となったため、自分のキャリアややりたいこと、生き方を見直した。
その選択の大きなきっかけとして私の身に起きた出来事。それは子宮頸がんの初期異形成が見つかったことだった。
もともと初経のころから生理が重く、高校時代はストレスから過多月経となりピルを5年間服用していた。
婦人科系が強くないんだなと感じながらも、芸能活動をしながら生活をするには長時間労働は避けられなかったし、不規則で不健康な生活をしていた。
そんななかコロナ禍になり、不正出血の頻発のために婦人科を受診して、初期異形成が見つかった。
初期異形成というのは、細胞が子宮頚がんになる初期段階のもので、大抵は自己免疫か学生時代のワクチン接種によって反応はでなくなる。だが私の場合は、接種したワクチンと型が違うものが身体のなかで作られてしまい反応が出たのだった。
初期異形成自体、すぐにがんになるものではなく自然治癒が見込めるものであったため、それ自体の治療などは特になかったが自分自身のキャリアについての考えを大きく変えることになった。
「バリバリ仕事をこなして、いつか結婚できたらいいな」「いまは仕事がいちばんだし、子どもがほしくなったら考えればいい」
漠然とした未来の願望は、多少なりとも仕事の犠牲にしてもいい。そんな思いは希望的観測に過ぎないのだと思い知った。
いつか訪れてくれる未来に絶対などない。そう考えた途端、いまの働き方をしていたら、私の身体は自然治癒などできなくなってしまうと思うと同時に、私のキャリア志向は何のためにあるのか、身を粉にしてまでやりたいことなのか考えるようになった。
子宮頚がんの初期異形成は私の結婚や出産など女性のライフイベントに対する意識を強くし、実は自分の結婚出産願望が強いことに気づかされた。
そして、その願望が自分のいまの夢を叶えることよりも強いのならば、やる必要はないと思ったのだった。
コロナ禍で見つけられた新しいキャリア形成。いまだから言えること
また、自分のキャリアについて考え直すタイミングがコロナ禍の自粛期間中であったということが、災いを転じて福となす形になった。
私はその時間を自分の身体ややりたいことと向き合う時間にするために、リンパセラピストの勉強をし資格を取ることにした。
身体を労わることや自分のために得た知識を、誰かのためにも使えるようになりたい。その気持ちから「治療だけではない改善へのアプローチ」を身につけることにした。
思った以上にこれが合っていたようで、資格取得後もセラピストととして働き、お客様の施術が楽しくなった。私自身の身体への向き合い方や経験は、お客様への施術以外の寄り添い方にいい形で影響した。
「生理によって、長い間心と身体を振り回される私たち女性は生きているだけですごい。ましてや、体調の変化と付き合って仕事をして夢をみて生活してるなんて、もっと自分を褒めて可愛がるべき」
お客様にそう言いながら、自分にも言い聞かせている言葉だ。いつもお客様とお互いに笑いながらこう話す。
でもこれこそが、むかしの私に足りなかった気持ちなのだと思う。いまなら、自己実現欲求ではなく、心の底から働く女性に寄り添う考えと言葉を生み出せる。
大学生のころから積み上げてきた夢とキャリアは漠然とした「かっこいいバリキャリ女性」という自己実現欲求を満たすだけのものだった。
でも、新たなスタートを切ったセラピストという仕事でのキャリアは自分自身を労り、人生という長い道のりを歩むための手段のひとつであり、楽しみだと考えられるようになった。
そして、仕事でのキャリアにおける価値観がそう変化した途端、結婚はキャリアにプラスになるというような思考になり、またこの仕事で夢を持つことができた。
もちろん、出産というタイムリミットに焦ることもある。でもこれはある意味、区切りのある目標を作った。そして、その区切り以降も続く人生の目標も持つことができた。
マイナスに考えようと思えば、底なし沼のように思える私たち女性の人生。
けれど、女性には女性の人生におけるキャリア形成がある。男性と同じようなキャリア形成が正しいわけじゃないし、男性と同じ土俵で戦う必要はない。結婚や出産、子育てがあるからこそ、わかることや仕事に活かせる経験が作られる。
恋愛や結婚出産は私たちのキャリアを邪魔しない。私たちの人生の彩度を上げてくれるものなのだ。
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