子どもが自立して家を出た、仕事を退職したなど、人生のなかで区切りを迎えたときに配偶者との離婚を考える人は決して少なくありません。
20年など配偶者と長く一緒にいても離婚はありえない話ではなく、自分から行動を起こして第二の人生を目指す人もいます。
熟年離婚は、特に年齢の高さから仕事や収入の有無がネックになりますが、それでも「別れよう」と配偶者との離別を思いつくのはなぜなのか、意外な瞬間についてご紹介します。
私をイビリ続けてきた義母の病気で…
「夫とは社内恋愛で結婚し、20年ほど一緒にいましたが義母の病気がきっかけで離婚しました。
義母は、妊娠がわかってから退職した私に『誰のおかげで生活ができていると思っているのか』とおかしな言いがかりをつけ始め、子どもが入園したらまた仕事を探すと答えても『その間の生活費は誰が面倒をみるのか』『家事や育児をこなすのは当然』と、夫がいないところでネチネチと嫌味を言ってくるような人でした。
夫に話したけれど『目の前で見ていないからわからない』とのらりくらりと逃げられてばかり、そのうち義父が病気で倒れその介護で義母は忙しくなり、私も再就職で働きはじめたので接触の機会が減ったことにホッとしましたね。
義父も義母も、たまに会うふたりの子どもについては常識的な接し方だったとは思うのですが、子のいないところで私に『いい子を産めたのはうちの息子のおかげ、感謝するように』と義母は言ってきて、ギャップのひどさにもドン引きでした。
義母の様子が変わったのは義父が亡くなってからで、ひとりになったことが堪えたのか私にも優しくなり、たまに頭をよぎっていた離婚という言葉は少しずつ消えていきました。
子どもたちが家を出たら義母との同居の可能性が高く、何とかやっていけそうだななんて考えていましたね…。
その義母が転んで骨折し、入院となったときに、離婚をはっきりと意識しました。
義母は、入院のストレスからかまた暴言が始まり、私に『恩を返せ』『夫の親は最優先するべき』などと言ってきて、夫の前ではにこにことする姿に本当に怒りを感じて。
ちょうど次男の就職が決まったところで、『この子が家を出れば絶対に義母がこの家に引っ越してくる。面倒を私がみることになる』と考えた瞬間、絶対に嫌だと嫌悪感が爆発しました。
私の言葉を何ひとつ信じずに義母のことばかり気にかける夫にも嫌気がさし、育児に逃げてこんな夫の短所からも目をそらしていたことに気がつきました。
子どもたちに離婚の意思を告げるとびっくりされたけど、義母のおかしさについては『お母さんと話すときに怖い顔をするのは知っていた』と薄々わかっていたようで、また自分の家庭より義母のためにお金を使おうとする父親にも違和感を覚えていました。
子どもたちが離婚に納得するのを見てから、夫に『別れてください』と言いましたが、案の定『母さんの世話はどうするんだ』とまず義母のことを口にする姿が本当に気持ち悪かったです。
一度嫌悪感を持ったら、何を見聞きしても『しんどい、これ以上は無理』という感情しか湧かないのですね。
私は正社員のフルタイム勤務だったため収入が安定しており、義母と自分の心配しかしない夫に愛想をつかして家を出ました。
いまは同じ市内の実家に身を寄せていますが、このまま夫が離婚を受け入れないなら調停を申し立てるつもりです」(女性/48歳/総務)
改心したように見えた義母の姿に、一度は老後の同居まで考えていた妻。
「友人たちの話を聞いたら似たような家もあって、こんなものかもと無理やり納得していた」と昔の自分について女性は話していましたが、事態が変わって実感した義母の人間性の悪さは、「それまでの我慢を吹き飛ばす絶望感があった」といいます。
義母に加えてこちらをまったく顧みない夫、自尊心を踏みにじられる生活を抜け出すには離婚するしかありません。
何を言われようと、人生は自分のものです。仕事をしていたことが、早い別居を後押ししてくれて本当によかったと思います。