突然訪れた離婚の決意
「妻と結婚したときは34歳で、当時は遅れている自覚がありました。
付き合って3カ月で入籍し、その後すぐに妊娠がわかって出産。それからはずっと育児と仕事で、思い返せば妻とふたりきりでゆっくり過ごした期間は短いですね。
16年を共に過ごして離婚しましたが、後悔はありません。
妻は勝ち気な性格で、僕は俗に言う『嫁の尻に敷かれている状態』でしたが、こんなものだろうと思っていました。
それでも離婚を決めたのは、妻が息子に『だらしない父親』と言ったのがきっかけです。
息子は妻に似たのか頭がよく、私立の高校に受かり全寮制だったため家を出ることが決まっていたのですが、『こんな父親にならないようにしっかり勉強するのよ』と僕の前で言ったのですね。
妻としてはいつもの冗談くらいに思っていたのかもしれないけど、そのとき本当に嫌だったのは、息子が苦笑いして『はいはい』と答えていたこと。
その様子を見たら『あ、普段から僕のことを悪く言っているのだ』とハッとして、何か考える前に『子どもの前で言うことか、それ。一生懸命家族のために働いてきた人間を、お前はそう思っていたのか』と自分でも驚くくらい静かな声で口にしていました。
妻も息子もびっくりした顔でこちらを見て、妻は『はあ? 何言ってるの』と慌ててごまかしていたけど、息子のほうは無言で僕を見つめていましたね。
残業も断らず休日は家族の用事を最優先にして、妻にお小遣いを厳しく管理されて『マンガが買えない』と泣く息子のために少ない持ち金からこっそり買って渡し、妻のいないところで僕と一緒にお菓子を楽しんでいた息子には、妻が言う父親の悪口は相当にストレスだったのではないかと思います。
そういう感慨が一気に押し寄せてきて、『離婚だ』と今まで一瞬も考えたことのなかった言葉が口を出ました。
妻は狼狽して『そんなことできないでしょ』『馬鹿じゃないの』とまだ言っており、息子はそんな母親に何も言葉をかけず、初めて家族の空気が底が見えないほど真っ暗なものになりました。
それでも、息子は僕に離婚しないでとは言わなかったです。
まだ子どもで夫婦のことも離婚のこともよく理解できていないせいもあるだろうし、春から寮に入れば親の姿は見えなくなることも、理由かもしれません。
『お母さんと離れても僕が父親なことは変わらないからな』と息子には何度も言いましたが、そのたびに『うん、わかってる』『連絡してね』と答えてくれる息子にホッとしました。
妻は『絶対に別れてやらない』と怒るばかりで話ができず、息子の入学を待って僕が家を出ていまも別居中です。
離婚を告げた夜のうちに自分の銀行通帳と印鑑を確保していたので、引っ越しもできてひとり暮らしを始めてからは妻の口座に生活費を振り込んでいます。
妻も正社員として働いており収入は僕と変わらずで、息子の学費は妻が払うことが決まっていましたが、『生活ができないからもっとお金を入れて』とLINEで送ってくる妻には『離婚の話をするなら』とひたすら返しています。
この顛末を同僚に話したら『子どもさんがかわいそうだろう』と言われましたが、そもそも全寮制の高校を選んだのは息子で『家から離れたがっていたのではないか』とずっと考えている僕としては、離婚よりそんな息子の気持ちをわかっていなかったことに後悔があります。
妻には愛情はありましたが、我が子に父親のことを『こうならないように』と平然と言える姿には、怒りと同時に恐怖を覚えます。
ふたりきりで生きていくなんて無理だし、離婚の決意はいまも変わっていません」(男性/50歳/人事)
離婚そのものではなく、男性の意識は全寮制の高校を選んだ息子の精神状態に向いています。
「自分が不甲斐ないばかりに」と男性は繰り返しますが、今後はより息子さんに寄り添ってふたりの関係を良くしていくことに集中できます。
父親をないがしろにする母親の姿など、家族のつながりを悪くするだけです。
あのとき男性が口にした言葉は、夫として父親として、これ以上貶められないための重要なストッパー。考えるより先に出た「離婚」の重みを、妻も改めて考える必要があります。
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