気がつくと、駅前のイルミネーションが飾りつけられていた。日々忙しない社会人たちは寒さや暦よりもイルミネーションの灯りを目にしたとき、冬の始まりを感じるのかもしれない。
街を照らすイルミネーションは冬の始まりを意識させたと同時に、冬のさまざまなイベントを思い浮かばせる。
クリスマス・大晦日・お正月。小さいころは胸が高鳴ったこれらのイベントも、いまでは一年で最も仕事以外のタスクであふれた日々の始まりを意味するのではないだろうか。
サンタはクリスマスに「年末年始の家族行事やることいっぱいリスト」を真っ白で大きなプレゼント袋に詰め込んで枕元に置いていく。
結婚一年目のお正月は、お互いの家族同士の挨拶回りでいっぱいだ。
結婚をするにあたって一番の課題であった「家族同士の契約」という点で悩み、苦しみ、奮闘した私たちは、その甲斐あってそれぞれの義理の実家(以下、義実家)とは仲がいい。
だからこそ連絡を取り合う頻度や人数は多く、義実家と仲がいいからこそ、その先の親戚や義父母の関係先との挨拶も待っている。
私はセラピストをしているのだが、お客さまと「結婚あるある」「実家・義実家あるある」なんて会話は日常で、それに加えて既婚者の友人などこの年になるとさまざまな家族模様を目の当たりにしている。
きょうはこのさまざまな義実家についてや義実家・実家との付き合い方について考えていきたい。
自分の母を近くに。彼と母の関係性に悩む女性
最近私の周りでよく見られるのが、女性側の両親の近くに住むというパターンだ。
共働きが当たり前になりつつある最近では、親の協力なくして子育てはできない。
むかしは嫁いだからには男性側の両親に面倒を見てもらうことが多かったのかもしれないが、いまでは嫁ぎ先の家族との同居も少なくなり、女性側が自分の両親を近くに住まわせる、女性側の実家の近くに移り住むということも少なくないのだという。
私のパートナーの知り合いであり、私の店のお客さまでもある女性は、パートナーが地方出身ということもあり、出産後都内近郊にある自分の実家の近くに家を建てた。
スープが冷めない距離に自分の両親がいることは、自身の仕事復帰もしやすく頼りやすい。夕食のサポートをしてくれることもあったり、自分が出かける際に子どもを預けたりすることもできる。女性側としては願ったり叶ったりの環境かもしれない。
でも、そこで問題なのは女性の母親と自身のパートナーとの関係性なのだという。
彼女の母親はさっぱりした性格で人の言うことを気にしないため、はっきりものを言うのだが、彼女のパートナーは少し繊細で他人からの言葉を気にするタイプなのだそうだ。
その二人が近くに住んでいるとなると何が起こるかは容易に想像できる。
母娘の繋がりの強さを感じ、彼女の母へ気を遣い、ついにパートナーが爆発してしまったのだ。
それ以降、彼女はパートナーと自身の母親との距離感を常に計りながら、顔を合わせるタイミングなのか携帯で連絡を取るだけでいいのかなど、常に二人の間を取り持つようにしているという。
こんな話を聞くと、「旦那さんがかわいそう」などと声をかけられることもあるのかもしれないが、子どもを授かるとやはり自分の母親の存在は心強い。育児未経験の自分とパートナーよりも経験のある母に任せたい気持ちは痛いほどわかる。
私もそんな風にできたらいいなと思うことの方が多い。でも、そのような状況になったとき、「一番苦しむのは自分なのかもしれないな」とふと思った。
自身のパートナー、両親が近くにいてくれて安心で心強くてこれ以上の幸せはないように思える。
けれど忘れてはいけないのが、両者は自分という存在がなかったらそもそも出会わなかったということだ。
そんな両者に「どうにか仲良くしてくれ」と頼むのも烏滸がましい(おこがましい)気がする。となると、結局頑張るのは自分自身だ。
両者のタイミングや考え方を想像したり聞いてみたり、いろいろな調整を行うのは自分自身。その気苦労なしには、両者を近くにおくことはできない。
この話を聞いて、自分のパートナーと両親に置き換えてみる。たくさんの気苦労が思い浮かび、ため息をついてしまった。