「瞑想」とは瞬間の幸せである
根が正直な私が、こういう「我慢」を強いられて、自分を押し殺し、嘘の言葉を吐くことは物凄いストレス。
それは人と出会う数が増すだけ増殖します。最近でも物凄くストレスが溜まって、その上に天気が悪い、寒い、そして肩こりや頭痛がすると気力はなくなり悪循環という数日を過ごしていました。どこかで爆発させないと、イライラが積もるばかり。
イライラして眠れない、気分にムラがでてきて、大抵こういう場合、私はジョギングに繰り出し、汗をかき、シャワーを浴びると爽快になるのですが、アメリカはいま寒いからそういう気分にもならない。
「人づきあい」がどれほど自分に毒をもたらすか、友達ならば、腹の中を隠す必要もなく付き合えます。仕事上で知り合ったり、出会う人の中には自分と価値観が合わない人も、意見が真逆な人もいるわけで、ここ最近は「自分を偽る」必要のある事例や付き合いが多すぎていました。
ネットをみると、「瞑想で気持ちを落ち着かせる」という方法が推奨されていますが、私の中で「瞑想」イコール「迷走」です。
「瞑想」とは頭の中を空っぽにして、何も考えずと解いていますが、「頭の中を空っぽにする」ってことを考えているではないかと思うのです。積もりに積もるストレスを、空っぽにできないからイライラするのです。
イライラしてるときは、爆発や発散が必要だと信じて止まない私は、大声で歌を歌ったり、全力で走ったりしない限り攻撃的になってしまいます。その中で最近読んだ本に「そう!これこれ!」っていう言葉がありました。
「瞑想」とは行うものではない!という言葉。「瞑想」って自然に感じることで、実は人間、ちょいちょい瞑想しているのである。美味しいものを食べたとき、「うわ~~」と感じる感覚。綺麗な空をみたとき、美しい風景をみたとき、「うわ~~」というこの感動…。
これこそ「瞑想」。考えずに感じる。このときこそ、頭の中はから空っぽなのです。
瞬間の感動こそが「瞑想」であると思います。これは「幸せ」にも通ずることが言えるでしょう。「幸せ」も一瞬の感動のこと。人生や生活を表現するための言葉ではないと、私は常に思っています。
食後の一服、寒い日にお風呂の湯につかる瞬間、寒い日に飲む最初の味噌汁、暖かい布団に潜り込んだ瞬間、喉が渇いたときに飲む冷たい水、暑い日に冷房の効いた部屋へ入った瞬間、寒い日にこたつに入った瞬間とか「あ~~~」と声が出る瞬間が「瞑想」であり「幸せ」なのです。
こういう「あ~~~」で幸せを感じること、「うわ~」で感動を感じる瞬間を増やさなければ、人間は「毒」に犯されてしまう、と最近つくづく思います。