必死に走って、16年
こんなに長々書いておいて、ここに加わるのが「育児」。世の中にお母さんがいなければ人が増えないわけで、世の中お母さんだらけなので「お母さんはできてあたりまえ、やってあたりまえ」と思われてしまっていますが、とんでもない。
育児とは、自分という人生の時間を削って、自分のことを差し置いて子どもに無償奉仕するドMプレイのようなものです。
子どもとの関わり方や、その親子の方針や性格により大きく変わりますが、少なくとも私は、育児って「誰でもできる」というシロモノではないなと16年やってきて痛感しています。
当たり前ですが、子どもは自分の思い通りになりません。思い通りにならない生き物への無償の奉仕を24時間365日×子どもが成長し、独り立ちするまでエンドレスで続くのです。
もちろん、そのぶん、自分の子どもは身を削っても痛くないほどかけがえのない存在ですし、本当に大事な存在です。わが子がいなければ味わえなかった幸せもたくさんあります。
ですが、その陰には日々の試行錯誤と苦労が隠れています。
当然のことですが、子どもを授かり、その子が生まれた瞬間から「お母さん」と呼ばれます。
出産と同時にお母さんという人格や能力が急に現れるわけではありません。自分のなかから出てきた謎の生命体は、人間。明らかに自分が世話をしないと死んでしまうであろうことはたやすく予想できる。
だけどそんなものを触ったこともないので、育児雑誌を読み漁りながら、寝ている最中でさえ常に生存確認をしながら数時間おきに授乳をするところからスタート。
始まったら、降りられないのが子育てのきついところ。この授乳期を過ぎると、まだわけのわからない生命体は、まだ世の中を知らないままハイハイをはじめ、歩きだします。
だけど一人じゃ置いとけないので、どこに行くにも一緒。トイレに行くにも「ちょっと待ってて」ってわけにはいきません。
「これ買って!」と泣き叫ぶ息子の手を引いて、自分の尿意の限界に挑戦しながらトイレに向かい、一緒の個室に入って用を足すなんてザラ。
もう少し大きくなって幼稚園に行き出すと、今度は園トラブルが発生。登園したくない、お友達とのトラブル。やったりやられたりと、親同士のモヤモヤも頻発。
まだ抵抗力がない年代では、病気も流行りまくります。子どもの流行り病をきっちり受け止めてしまったわたしは、インフルはもちろん、りんご病、手足口病など、大人がかかりにくい病気ももらってヒーヒー言いながら子どもの面倒を見ていました。
小学校にあがって高学年になり、だいぶ手が離れてきたと思うと、悩みの種は「お勉強」にうつります。
自分は勝ち気で成果主義だったので勉強は好きだったのですが、わが家のマイペース息子は恐ろしく勉強しない。
気にしない人はノータッチのようですが、なんだかんだでまだまだ学歴社会な世の中を渡っていけるのか心配になり、ついつい「勉強せい」となる。
そのうち反抗期がやってきて、身の回りの世話を当然のものとしている息子に、少しでもお小言を言おうものなら「うるせぇ」とか言われる始末。
「そんなことは子どもに言わせない」という人もいるにはいますが、別にわたしも昔は親のありがたみなんかわからなかったし、そんなもんでしょと思いつつも、実際に「うるせぇ」とか言われると、なんか自分という人間の価値を考えてしまいますよね。昔、自分の母がしてくれたことを当然だと思っていたツケを払っている気分です。
さて、子どもは育つにつれてそれぞれのステージでそれなりの苦労があるのですが、そこに加えてさきほどの「家事」が乗ってきます。
しかも、すでに大人な夫より、子どもへの気遣いが大変。ポッケに石ころがつまったズボンの洗濯、すぐにサイズアウトする洋服の調達、そして毎日のごはんづくり。
たっぷり自分時間を取る人はとるのでしょうが、まじめにやってたら自分の時間は取れません。
もしかしたら若ければ睡眠を削るとかもできたのかもしれませんが、30半ばで出産したわたしは、育児の疲れで自分の趣味を持つどころではなく、見る映画も、ポケモンやらクレヨンしんちゃん、ドラえもんと子どもと一緒に見るアニメが中心になり、息子が夢中になった恐竜の図鑑を気が遠くなるほど何度も読んだり、息子は大好きでわたしが大嫌いな昆虫のDVDを見ながらご飯を食べるなど、苦行もあったり。
それでも、自分がまったく興味がなかったけれど、子どもと一緒に触れることでおもしろさを知ったこともたくさんあるし、発見もあったから、それは自分の好きなことばかりしていてはできない経験でした。
けれどやっぱり途中で自分の時間が持てずに辛くなり、息子が小学生になったタイミングで、昔やっていたフラメンコを再開し、ほんの少し自分を取りもどした気がしました。
そんなこんなで息子やっと16歳。まだまだ手はかかるけれど「お金あげるからコンビニでなんか適当にお昼買って食べて」とかができるし、勉強はしないけれど話が通じるようになったので、会話もラクに。
好みも大人っぽくなってきたので、見る映画や音楽の話も、いまどきの若者としているような感じで、だいぶそのあたりはラクになりました。
ですがその間、16年。子どもの成長に合わせて仕事もパートを始めたり、このようにライティングの仕事をさせてもらうようになったりと変化はありましたが、16年。
必死に走ってきたので、もはや子どもが小さいころの記憶もありません(笑)。すでにちびっこを見ても懐かしくもなくなってしまいました。そのくらい必死で過ごしてきたのだろうなと思います。
だけど、そんなありきたりの「子持ち主婦」に世間は冷たい
こんな感じで人生の3分の1を駆け抜けてきましたが、主婦として子育てしながら感じてきたことは「やっぱ子持ち主婦って社会的地位がめちゃ低いよな」ということです。
長くなったのでこのへんで。そのことについては、後編で触れます。
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