20歳年上の夫とマイペースな高1息子と暮らすアラフィフ主婦ライター、塩辛いか乃です。
生まれる家は選べないもので、わたしは割とすっとんきょうな家で育ちました。
子どものころって、何が「普通」なのかわからず、自分の家を「そんなもんだ」と思って育っていってしまうのですが、大人になっていろいろわかるようになってくると、「なかなか変わった両親のもとで育ったんだな」と実感するようになります。
きょうはそんな両親がやらかした、仰天エピソードをお話します。
戸籍謄本上で、母は「養母」だった
わが家は、特に父がすっとんきょうな人でした。よくいえば自由人でフーテンの寅さんのような人。気分屋で感性が豊か、だけどお金にルーズで事業を興してはつぶし、興してはつぶし。
働きに出るも、誰かに使われるのがムリらしく、3日で辞めてくる。話を聞けば「理不尽な指示を出すからやめてやった!」「ぶっつぶしてやる!」などと暴言を吐くのだけれど、「それって仕事だから仕方なくない?」とまだ未成年のわたしでも思うような内容が我慢ならないようで。
母がよくそのしりぬぐいで謝りに行きつつ、働いた3日分のお給料までしっかりもらって帰ってきているのを「すげぇ」と思いながら見ていた記憶があります。
へんてこな実家のことを語り始めると止まらないのですが、その話はまた今度にするとして…。
そんな家で育ったわたしは、成長するにつれ実家での居心地の悪さを感じ、大学から実家を離れました。
気分屋の父の顔色をうかがう毎日も、お金に困っている実家で「かすがい」として存在する自分にも疲れていたわたし。奨学金を借りて進学し、やっとひとりで自由に生きる時間を手に入れました。
進学先は京都。京都は「学生の街」と呼ばれるほど人口の割に大学が多く、同級生も先輩も、地方から出てきて下宿している人がほとんど。
門限なんて関係なく、先輩や友達、彼氏など、お互いの家を自由に行ったり来たりできる環境は、自由を求めていた私にとって最高でした。
そんな自由を謳歌していたわたしは、さらなる自由を求めて海外旅行をしてみたくなりました。
まだ未成年だった私。戸籍も実家の住所にあったのでパスポートを取るには実家の戸籍謄本が必要でした。戸籍謄本なんていままで取ったこともないのですが、実家の母に頼んで謄本を送ってもらうことに。
そして送られてきた戸籍謄本を見て、目が点になりました。戸籍上の母が、わたしの母の名前ではないのです!
わたしの母の欄には、知らない女性の名が記載され、わたしの母の名前は「養母」として記載されていました。
「え、わたしが母だと思っていた人は、本当は母じゃなかったのか?ドラマで出てくるような、お母さんは本当のお母さんじゃなかったってこと?」父は変わりものでしたが、母とは姉妹のように仲良し親子だったので、頭がパニックになってしまいました。
真実を知るのは怖かったけれど、聞いてみなければわからない。そう思って勇気を出して実家に電話しました。