こんにちは!『神社学』の大杉日香理です。
さて、気づけば一年の終わりがすぐそこまで来ています。
風の冷たさ、陽ざしの角度、夕暮れの早さ。それらが少しずつ、締めくくりの気配をまとい始めています。
大自然が静けさを増す時、運気もまた静かに輪郭を変えていきます。
この季節は、これまでのしがらみをそっと手放し、新しい一年を迎えるための準備が自然と始まる時期。
神社学では、12月は「禊ぎの月」と捉えています。
一年の道のりで蓄積した思考や感情、行動の癖、出会いや別れにまつわるエネルギーなど、そうしたものを一度やさしく洗い流し、次の一年に必要なものだけを手元に残していくための時間です。
日本神話における禊ぎの原点を宮崎県の聖地に触れながら、12月に取り組むと強運が大きくひらける実学的な知恵をお届けしていきます。
1. 年の終わりに、大自然が教えてくれる「余白のつくり方」

image by:大杉日香理
12月になると、日々の空気が張りつめ、木々の葉は落ち、空の色は透明度を増していきます。
大自然がゆっくりと一年を閉じていくような、この季節特有の空気がありますよね。
神社学では、この自然の変化を「禊ぎ」の合図として活用します。禊ぎとは、特別な儀式のことではありません。
自然が自らの状態を整えていくように、人もまた内側の余白をつくり、不要なものを手放していくためのもの。
私たちは想像以上に多くの情報、人間関係、感情、選択を抱え込みます。
一説によると、平安時代に生きた人が一生かけて出会う情報量を、令和を生きる私たちはたった一日で触れているとのこと。
仕事の判断、家のこと、人との関係。
心のどこかに引っかかったままの言葉や、あえて棚に上げたままにした決断もあるかもしれません。
今年の12月の運気は、知らず知らずのうちに積み重なったエネルギーを、今一度やわらかくほどいていくように働きかけてくれます。
冬の乾いた風が枝の葉を落とすように、人の心にも同じ「余白」が生まれやすくなるのです。
この余白ができた時、人は初めて「本当は何を抱え続け、何をもう手放していいのか」を見極めやすくなるでしょう。
禊ぎとは、頑張って何かを捨てるものではなく、自然の巡りに合わせて手放すべきものが、そっと浮かび上がる過程なのです。
だからこそ、12月は神社への参拝や、自然のある場所に身を置く時間を少しだけ増やしてみることをおすすめしています。
神社の静謐な空気に触れることで、あなたの心もまた澄んでいくことでしょう。
次のセクションでは、古代の人々がどのように禊ぎと向き合い、どの土地がその象徴として受け継がれてきたのかをひもといていきます。


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