3. もうひとつの阿波岐原・小戸神社が照らす「再生の原点」

image by:大杉日香理
宮崎市の中心部を静かに流れる大淀川。その川沿いに佇む神社が、小戸神社です。
周囲には住宅地が広がり、近くには車の往来もありますが、境内に足を踏み入れると、空気の層がひとつ変わるのを感じます。
境内の空気は静まり、木々が小さな影を落とし、遠く川面から届く湿り気のある風が、どこか懐かしい気配を運んできます。
この地は、古事記に記された国生みの神様であるイザナギが、禊ぎを行ったことと関連する神社です。
古事記にはこう記されています。
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
御禊祓へ給ひし時に生り坐せる
祓戸の大神等
この一文は、日本神話の中でも「再生の瞬間」を象徴する場面。
黄泉の国で妻イザナミと対峙したイザナギは、帰還後、その穢れを祓い清めるために禊ぎを行い、その際に多くの神々が生まれました。
この「橘の小戸」が、現在の宮崎市鶴島に鎮座する小戸神社であると伝えられているのです。
この地が古代から禊ぎの場として記されてきた背景には、すぐそばを流れる大淀川の存在があります。
大淀川は宮崎の水系を貫く大河であり、山の水、森の水、人々の暮らしを支えてきました。
古来、水辺は禊ぎの場として選ばれやすく、多くの神話や儀礼の舞台も川や海のそばで語られています。
イザナギが禊ぎを行ったという阿波岐原は、一般的には宮崎市阿波岐原町の「みそぎ池」が広く知られていますが、古事記の記述は「橘の小戸」を指し示しており、これを小戸神社周辺と重ね合わせる伝承は今も大切に語り継がれています。
小戸神社に参ると、境内の横に静かに大淀川が流れているのがわかります。川面に光が反射し、ゆったりとした時間が漂います。
禊ぎとは本来、川や海などの自然の水に身を浸し、穢れを流していく行為でした。
現代の神社にある手水舎は、その儀式を「日常でも行えるかたち」に簡略化したものです。
本来は全身を水に浸し、心と身体の双方を清めていく。その大本にあるのが、イザナギの禊ぎです。
黄泉の国とは、命が終わったあとに向かうとされた場所。しかし古事記では、そこは単に死後の世界ではありません。
イザナギにとって、それは「自分の痛みと向き合う場」であり、「喪失と向き合う場」でもありました。
妻イザナミを失い、取り戻せなかった悔しさや絶望に触れたイザナギの心と魂には、大きな穢れがまとわりついたままでした。
そこから生者の世界へ戻るためには、心身の穢れを落とし、新たな自分として生まれ変わる必要があったのです。
イザナギは水に入り、その一つひとつの動作が「祓い」となり、「再生」の儀式となりました。
衣を脱ぎ、水に触れるたびに、手足、顔、身体のそれぞれから新しい神様が生まれたとされています。
災いを祓う神、流れを整える神、心身を守る神。祓戸の神様として知られる存在です。
さらに禊ぎの最後に顔を洗った瞬間、三柱の神様が現れたことは、前述のとおりです。
天照大御神、月読命、須佐之男命。日本神話でも特別な役割を担う存在たちですね。
禊ぎとは「取り戻す力」であり、痛みや喪失を経験したあと、人が再び光の方向へ動き出すための原動力だったのです。
禊ぎとは、心が壊れるような出来事のあとに訪れる「第2の始まり」の象徴とも言えるのです。
小戸神社の周辺は、古代に海だったとも言われる低地帯で、大淀川の流れが幾度も形を変えた場所です。
地形そのものが「流れ」と「再生」を象徴していると言えるでしょう。
川は時に荒れ、時に静まり、時に氾濫し、それでもなお海へと向かい続けます。大淀川のこの営みは、禊ぎの象徴そのものです。
過去の痛みや迷いを抱えながら、それでも前へ、前へと流れていく。その姿は、イザナギが禊ぎによって再生した物語と深く重なります。
古事記で語られた禊ぎの場面は、痛みのあとに訪れる再生の物語です。
小戸神社は、まさにその再生の原点として、今も静かに佇み続けています。
次のセクションでは、この「再生」を私たちの日常に落とし込むシンプルな禊ぎのアクションをお伝えします。
自然の循環と神話の知恵として、あなた自身の一年の締めくくりに行ってみてくださいね。


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