クィアマガジン「purple millennium」を運営し、LGBTQ当事者としての経験や考えを発信しているHonoka Yamasakiです。
同じ人間でも与えられる選択肢の数は違う。そう思ったのは、同性かつ外国籍のかたとの出会いがきっかけでした。
多数派(マジョリティ)から逸脱することは社会でどのような意味を持つのか。「マイノリティ」とは、「少数派」を意味しますが、現段階ではそれに加えて「弱者」の意味も持つと思います。
今回、私が性的マイノリティとしての社会的立ち位置を自覚したきっかけと、よくも悪くもマイノリティに対するさまざまな認識を垣間見ることができた瞬間をご紹介します。
初めて、同性かつ外国籍の人と付き合った
シンガポール人の同性のかたとお付き合いすることになったのは、約4年前のこと。それまでは異性としか付き合ったことがなく、同性に惹かれることがあっても、恋愛関係に発展することはありませんでした。
正直、それまで同性と深い関係性を構築するまでに至らなかったこともあり、自分の抱く同性に対する「好き」の感情がわからず、友達としてなのか恋愛感情としての好きなのか、境目が曖昧でした。
同性に惹かれることがあっても、実際に自分が同性と恋愛をしているところを想像することは難しかったのです。早い段階で「LGBTQ」という言葉を知っていたら、同性に対して抱く「曖昧さ」はなかったのかもしれません。
そんな未知の世界のなかで、初めて同性と付き合うことになりました。同性かつ外国籍ということもあり、最初はどうすればいいのかわかりませんでしたが、一緒に時間を過ごしていくなかで、文化や言葉、性別の壁を感じることはありませんでした。
また、同性に対する「好き」の感情の曖昧さも、シンプルな概念へと変わりました。異性との恋愛と同じように、恋愛そのものの感情は男女で変わらず、何ひとつ特別なことではないのだと、そのころから認識しています。
非現実的に描かれやすい「女の子同士」
彼女との出会いを通し、「手をつなぐ」「ハグをする」など、異性カップルと同じ行為をしても見られかたが異なることがあると実感しました。
たとえば、異性と手をつないで歩いていたらカップルだと一目でわかりますが、女性同士だと「友達」だと認識されることが普通。それが理由かはわかりませんが、手をつないで街を歩いていても視線を感じることはあまりありませんでした。
「カップルです」と伝えるまでは関係性について気づかれないことは多かったように思います。ほかにも、ふたりでショッピングをしていたら店員さんに「仲のいいお友達ですね〜」といわれたことも。現状は、性的マイノリティであると自らが言葉にしない限り認識されないのだと思います。
また恋人関係であることを知ったうえで、利用して近づいてくる人もいました。直接差別的な態度を取られた経験はありませんが、二人の関係性を消費されているように感じることはありました。これは、アダルトビデオのレズビアンコンテンツや百合など、女性同士の恋愛は非現実的に描かれやすく、現実と混合して捉えられやすいのもひとつの要因だと思います。
全く知らない男性から「3人で楽しいことをしよう」といい寄られたりなど、異性カップルではなかなか起こらないシーンに遭遇することも。
マジョリティにとっては異性間の恋愛が当たり前であるという認識だからか、私たちカップルに対してそのような発言をしてくるのは、女性(私たち)を恋愛・性的対象にする男性が多かったです。一部の男性ではありますが、女性だから男性に強くいい返せないとか、女性は力では勝てないので男性が優位な立場から発言できるのだと、どこかで思っているのではと感じました。