「きょう、月やべーよ!」
仕事の合間に携帯を覗くとLINE通知が二件、43分前に届いていた。
二件?この時間に?時刻は19時23分。LINEの通知をオンにしているのは彼氏と母親もしくはしばらく連絡を取っていない誰かだ。
頻繁に連絡を取っている二人は、いつもこの時間にラインなんてしてこない。すぐに仕事に戻らなくてはならないので返信はできないが、内容だけ見てみようとアプリを開いてみた。
すると、彼氏から“写真を送信しました” の文字。既読をつけないように長押しして見てみると「きょう、月やべーよ!」と職場から月を映した写真が送られてきた。
なるほど、きょうは満月なのだった。ふと外が見えるはずもない小さな窓に目をやった。
付き合って6年(付き合ったり別れたりしてを含む)。もうすぐ結婚を控える私たちだが、こうしてたまに煌々とこちらを照らしてくる月やピンクグレープフルーツ色の夕焼けなどの写真を送りあったりしている。
このことを誰かに話すと、「ロマンチックだね〜」なんて言われるが、私にはそんな気はなく、ただ「あ、綺麗だな」と思って写真を送っている。
いま仕事中の彼になぜ画像を送ってくるのかLINEで聞いてみたが、「え?いやわからん」だそうだ。仕事中なのに、返信が早い。
私を楽にしてくれる魔法みたいだった
この習慣は、つき合いたてのころからあるわけではない。月の画像を送り始めたのは、彼に勧められて『宇宙兄弟』のアニメにハマったことからだった。
彼はもともとウィットに富んだ一言を好む傾向があって、よく映画やドラマなど「わかる人にしかわからない」セリフを交えた返信などをする人だった。
そのころは『宇宙兄弟』のセリフや画像と共に一言ラインするのがふたりの間でブームとなり、出勤前の彼に『宇宙兄弟』の主人公の親友の娘が、まだ覚えたての「頑張って!」を言えず「カペー!」と叫ぶのを真似してラインしたり、上手いことを言えたら「心のノートにメモっとけ」という主人公の教官が放ったシーンを画像で送ったりしていた。
そのなかで現実の月の写真を使い始めたのが、綺麗な月を送り合うきっかけだったと思う。その延長線で色々な景色を見たとき、写真に収めて送り合うようになった。
ロマンチックというわけではないが、この習慣に支えられている部分が少しある気がする。
千葉港の近くで育った私は、東京湾の濁った水ではあるが海をいつでも見られる場所にいた。失恋したときも親と大喧嘩したときも、受験に合格したときも必ず訪れる海岸があった。遠くの水平線を見てぼーっとして帰るだけだったが、その時間で気持ちの整理をしたり考えをまとめたりしていたのだ。
けれど社会人になり、都内で一人暮らしを始めてからは、忙しなく仕事をしていたり、日々思い悩んだりするなかで、海の景色はもちろん、空でさえ見ることが少なくなった。
そんな毎日のなか、ふとしたタイミングでの写真は、私の意識を遠くに飛ばして楽にしてくれる魔法のようだ。
結婚を意識するふたりに存在する魔法
私は、リラクゼーションサロンのセラピストとして働いている。お客様のなかにはエステに行くほどお金はかけられないけど、美容目的で利用したいという方もちらほらいて、ブライダル向けの施術なんかも担当したりしている。
もちろん、結婚や夫婦についての話になるのだが、そのなかで私たちふたりがやっているような“魔法”の話になった。
同棲をしていたころから担当していて、最近籍を入れたという32歳の女性。おおらかでよく笑い、パートナーの話をたくさんしてくれている彼女と「このコロナ禍でどこかに出かけているか」という話になった。
彼女は在宅勤務で、彼は継続して会社出勤。同棲したてのころは、「お互いに仕事に注力するタイプだから一緒にいる時間が増えて癒しになっている」と話していた。
けれど仕事に一生懸命になるあまり、お互い黙り込んでしまうときがあるという。そんなときに足を運ぶのが近所の銭湯であるらしい。
地元に昔からある懐古趣味な銭湯に着替えやタオル、お風呂道具を持っていき、それぞれ湯船に浸かるのだそうだ。終わりの時間を決めて銭湯へ行き、別々のお風呂で日々のさまざまなことを洗い流す。
デートスポットのようなスペースがあるわけではないが、個々で銭湯へ行くのとは違うのだそうだ。ふたりで銭湯に行く、というのがいい。帰り道にコーヒー牛乳を買い、遠回りして涼みながら帰る。それが彼女たちにとっての魔法だと言う。
そんなふたりは10月に挙式を挙げる。家族だけで行う式だが、ドレス姿を楽しみにしているご両親のために絶賛ボディメイク中だ。一生に一度の晴れ姿を人生で1番美しくあるよう私も身が引き締まる思いでいる。