こんにちは。メンタルトレーナー&心理カウンセラーの吉田こうじです。大人になってもあなたを苦しめる『「毒親の呪縛」を本気で断ち切る実践トレーニング』を連載しています。
本記事内に登場する「毒親」とは
子どもに対する拒絶、侮蔑、無視、過干渉、虐待などによって、子どもの心身に罪悪感、劣等感、不安感。過剰な義務感、不足・欠乏感、羞恥心、無価値感などのネガティブな思考や感情を継続かつ執拗に植え付け、それによって子どもを「自分の所有物」かのようにコントロールする親のこと。また、「親」とは実の親のみならず、「親代わり」の身近な人も含めます。
前回は「毒親」からの呪いを断ち切り、自立した人生を生きていくために避けては通れない「許し」について、僕が考えている3つの視点の中の1つ目の視点、「復讐したい感情に折り合いをつける」ための方法をお話ししました。
今回は、2つ目の視点、「こんなにも激しい怒りを抱えているのは当然で、それには理由があるし、怒るのはしょうがない…」という自己受容的な視点から怒りと向き合うことについて掘り下げます。
その前に、この連載では繰り返しお伝えしていることですが、私は「毒親を許さなければならない」と言いたいのではありません。そもそも許せないのが当然です。(厳密には「許さない。許したくない」ですが…)
許したくないものを無理して許すのは精神衛生上よくないと思っているので、どういう選択をするのもあなたの自由です。
とはいえ、恨み辛みなど「取り戻せない過去」に執着し続けることが、あなたのこれからの人生に役立つのかどうかは、しっかりと考えておく必要があるかと思います。
もし、過去ではなくて「いま」そして「未来」に向かって前向きに生きて生きたいと思うのであれば、「許す」「恨み辛みへの執着を手放す」ということを、真剣に考えてみてもいいのではないでしょうか、ということを言いたいのです。
ではさっそく、本題に入ります。
自己受容するときの注意点
子ども側からすると、弱くて親に寄りかかることしかできない自分に恐怖や苦痛を与え、コントロールし、支配してきた親に“仕返し”することなく、怒っている自分自身に「そりゃ怒るよね。怒るのはしょうがないよね…」と共感する(自己受容)ことは、かなりの抵抗や理不尽さを感じるかもしれません。
暴力的になる親を必死になだめ、家事や年端も行かない兄弟姉妹の世話を幼いころからさせられてきたことに対する仕返しを考えるのではなく、「私が怒りを抱えているのはしょうがない」と自己受容することが、なぜ役に立つのでしょうか?
親から肉体的、性的な虐待を受けるなどしたせいで、大人になって情緒的な問題を抱えていることに対して、なぜ罪を償わせたり恨みを晴らしたりするのではなく、「私が怒りを抱えているのはしょうがない」と自己受容することが、なぜ役に立つのでしょうか?
過去にこういう理由があって、いまこうして激しく怒りを抱えている自分がいるという厳然たる事実にしっかりと共感し、「怒るのもしょうがないよね…」と肯定的に自己受容することが、どのように役に立つのでしょうか?
私たちは、感情的に理解できないことに納得することはできません。いくら意識(頭)では理解できたとしても、感情が首を縦に振ってくれないうちは、スッキリして前進できないのです。
たとえば、「もう過ぎたことだし、やり直すことができないなら、許した方がいい」「いまさら昔のことを蒸し返してもしょうがない」と自然に、素直に思えるなら、それに越したことはありません。
しかし自分を無理やり納得させようとすることは、むしろ自分をごまかし、ありのままの自分のことを抑圧してしまうことだといえます。
そもそも、子どもが親から一方的に虐待を受けるという状況においては、その問題行動の責任はすべて親にあります。
にもかかわらず、その問題行動の責任を「無罪放免」にして許すということは、ほかに問題行動の責任を取る人がいなければ、感情的に納得することはできないかと思います。
そのため、「自分に非があったからだ…」と自分を悪者にすることで感情的な納得感を得ようと試みてしまうことは、実は少なくありません。
そして悪者には「罰」を与えなければならないので、なにかにつけてひたすら自分を責め続け自己嫌悪し、それがさらに心理的問題を大きくさせてしまうのです。
ですから、自然と許せるのであればそれはそれでいいのですが、「努力によって許そうと頑張る」必要はないと僕は考えています。