LGBTQ+当事者を取り巻くニュースのなかでも、このところ「性自認」という言葉を頻繁に目にするようになりました。
今回はその性自認について、身体の性が女性で心の性を定めないXジェンダーであるLGBTQ+当事者の筆者の体験談を例にお話します。
ニュースを見ながら「性自認ってなに?」「身体の性と心の性が違うってなんでわかるの?」と感じているかたには、ぜひ読んでいただきたいです。
そもそも、「性自認」ってなに?
自分で自分の性別をどのように認識しているかということを「性自認」といい、「ジェンダーアイデンティティ」と呼ぶこともあります。
自分で認識している性別と生まれ持った身体の性別が必ずしも一致しないということは、昨今のニュースを見ているかたもご存じではないでしょうか。
自認している性別と生まれ持った身体の性別が一致していない場合を指す「トランスジェンダー」という言葉は耳にしたことがあるかと思います。反して一致している場合は「シスジェンダー」です。
身体の性別と心の性別の不一致に違和感を感じることを「性別違和」といって、自認する性別と身体の性別が異なるLGBTQ+当事者の多くがこの「性別違和」を感じたことがあったり、現在進行形で感じています。
なぜ自分の心の性が女性ではないとわかったの?
ここからは筆者の体験したことと、体感してきたことをお話します。
性別違和を感じたことのあるすべての当事者に当てはまるものではありませんので、あくまでサンプルのひとつとして受け止めていただけると幸いです。
僕は女性の身体で生まれ、幼いころから自分の身体の性別に対しての違和感、「性別違和」を感じていました。
幼少期からスカートを履くことやフリルやリボンがついている服を着ることが嫌で、「女の子のもの」として販売されている物を「自分のもの」とあまり感じられませんでした。
親や周囲の大人から「女の子なんだからこうしなさい」と注意されることにも「なぜ?どうして?」がつきまといます。
自分のことを「女の子」と言われても、自分のことを女の子として認識できなかったのです。
成長するに従い、変化する身体や学校で女子として扱われることで、次第に自分の身体が「女性」のものだと少しずつ理解していきました。
しかし体感ではあくまでも「自分の身体は女性である」という外側への理解であって、「自分が女性であること」にはピンとくることはありませんでした。
漠然と、「自分は女性ではないと思う。かといって男性だとも思えない」という感覚のまま生活していました。
自分以外の人の性別に対しては何も感じないので、女性性への嫌悪や男性に対する嫌悪でそう感じているわけでもありませんでした。
ただただ、「自分の身体は女性だけれども女性ではない。しかし男性でもない」という感覚以上でも、それ以下でもなかった。あくまで自分の内側の問題として、自分の身体の性別に対して違和感を感じていました。
女性の身体で生まれたのに自分を女性だと思えなかった僕と、同じく女性の身体で生まれ自分で自分のことを「女性」だと自認している女性が「女扱いをされたくない」と考えることと何が違うのと思われるかもしれません。
たしかに身体も自認も女性であっても、女性の役割とされるものに嫌悪感を抱いたり、女性として扱われたくないかたもいます。女性を自認していても、僕のようにリボンやフリルのついた服装を好まないこともあるでしょう。
では違いはというと、前述の身体の性別に対しての違和感の有無。感覚的なことですが、たしかな違和感が僕のなかにあるのです。
それでも「なぜ性自認が身体の性別と違うとわかるのか」に答えがほしいならば、自分がなぜ女性(もしくは男性)なのかを「身体の性別が女性(男性)だから」という理由以外で考えて、その理由を探してみてほしいです。
きっとその先には「だって女性(男性)だから」という漠然とした感覚があらわれるかと思います。
生まれ持った性別と自認する性別が異なる場合も、感覚的には同じなのではないでしょうか。