ときには辛い判断をしなくてはならないことも
奥さんは息子さんへ「最後まで看取る=責任と教えてきたのに!」というんです。
日本では安楽死=殺生という考え方です。でも安楽死=殺処分…この受け取り方はアメリカではありません。
難しい話ですが、これも自分がどう向き合うか次第で意味が変ってきます。自分がどう受け止めるかによっては、混乱まっしぐらです。
人間は感情に支配される動物ですから、とくに周りにいる人間(多数)が、「安楽死」に賛同してくれなければ、「罪悪感」に苦しむことになります。
どれくらい自分の周りに、あなたがやっていることを認めてくれる人がいるかどうか。これを無意識に測るのが人間です。そして混乱の要因です。
感情的に「犬」を家族として見た場合、涙に飲みこまれてしまいます。でも、「医者の立場」として「動物」として飼い犬を見た場合、感情に支配されることはありません。
私の獣医は、犬猫の安楽死の経験豊富な人です。医者として、獣医として立派なお仕事をされています。ときには辛い判断をしなければならないし、飼い主に決断させることも獣医の役目だと話をします。
でもこの獣医も、自分の犬が末期ガンで安楽死を自らの手で行ったとき、仕事を数日休んでいらっしゃいました。自分の犬に対する感情と、患者(患畜)に対する寛容の違いです。結局のところ、「自分をどう持つか」です。
混乱にかき乱されないためには、「自分」をきちんと「自分で理解する」ことが大事なんです。
悩んでいるときこそ、悩んでいる自分を客観的にみる必要があるし、泣き崩れているときもその姿を別の目線で、別人となって見る姿勢が必要ではないでしょうか。
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