2018年に放送された『透明なゆりかご』というNHKドラマをご存じでしょうか。街の小さな産婦人科医院で、女子高校生の主人公アオイが看護助手として働くなかで見る「出産」「中絶」「死産」など、命の光と陰を描いた物語です。
アオイが回想する母親との思い出は、いつも怖い顔をして怒る姿でした。忘れ物が多いアオイ、突飛な行動をしてしまうアオイ、叱られている途中なのに、別の話を夢中で初めてしまうアオイ…そんなアオイに、母親はいつも激しく苛立ち「お母さんを怒らせるために、そんなことするの!?」「恥ずかしい、あなたはおかしい!」と、抑えきれずに怒るのです。
アオイはそのことを忘れられず、いまでも「自分は母親に疎まれ、望まれていなかったのではないか」と不安に思い、自分の母子手帳すら見ることができないでいました。
そんな親子関係の風向きが変わったのが、アオイが中学生のころ。医師に、「注意欠陥多動性障害」だと診断されたのです。その病気の症状は、それまで「おかしい」といわれてきたアオイの行動に合致し、先天的な脳の機能障害だとわかったのでした。
そのときのアオイの母親の様子は、驚きや安堵、とまどいが入り混じった複雑な表情でした。それ以降、母親も娘のことを理解しようと、つとめて温厚に接するよう、努力してきたことが伺えました。
物語の終盤、現在のアオイが、ようやく自分の生まれた時の記録である母子手帳を見ることができました。そこには生まれてきたときのことや、母が娘の命と成長を喜び、愛した証が記されていました。その小さな母子手帳を見て、アオイは泣いたのです。
「こうあるべき」なのに…
この物語を見たとき、私自身、我が子が生まれた時のこと、そしてその後の数年間を思い起こしました。私は、長男次男ともに、3年日記をつけていました。3年間、ほぼ毎日、数行ではありますが、子どもの成長や私の気持ちを愛を込めて綴ってあります。
あのころの私はといえば、毎日が初めての連続。愛する我が子に全身全霊で向き合い、慣れない子育てに四苦八苦していました。四苦八苦していたけれど、愛の目と言葉にあふれていたでしょう。
どんなに泣かれても怒ることなく、必死で抱き続け、我が子を受容していました。それは、ただただ、ありのままの我が子を受け入れる作業でした。
けれどもいつの日からでしょうか。ありのままを受け入れられなくなっていったのは。我が子が歩き、喋り、自己主張をするようになってきたころからイライラが始まりました。
「こうあるべき」という自分のなかの正しい子育てをしているのに、思い通りにならない我が子。憤りと、悲しみと、不安が混ざり合って、結果、怒りとなって噴出してくるのでした。