いつまでも私の「アイドル」でいて
結局その夏、上京して来たシンドウ教官に会うことはしませんでしたが、その後、どちらかのアドレス帳に残っていた連絡先からFacebookでつながり、“お友達”になりました。
いまではFacebookを使わなくなったためなくなりましたが、その後も毎年誕生日には「おめでとう」のメッセージを送り合い、投稿に「いいね」をし合いました。
シンドウ教官とは、あの年の春をともに過ごした「お友達」になれたのだと思います。
教習所の教官を辞め、あのとき電話で「やりたい」と語っていた憧れの自動車メーカーのディーラーで働いていること、結婚したこと、かわいいお子さんが生まれたことは、Facebookを通して知りました。
「結婚した」と知ったときには、少し胸がギュッとしたものです。いまでもシンドウ教官が働いているメーカーの自動車販売店の前で停車したり、シンドウ教官が住むあの町がテレビに映っていたりすると、甘酸っぱい気持ちになることがあります。
「もしもあのとき、彼に再会していたら…」と想像してみることもありますが、きっとあのとき距離を置き、「お友達」として細く長くつながれているこの関係が私にとってベストだったのだろうと思います。
恋が実らなくてよかった…。
もう会わないだろうと理解している。だからこそ、「私のなかだけでは、いつまでもあのときのままのあなたでいてね」。
恋が実らなかった代わりに、彼はいつまでも私にとって、近くて遠い場所にいる「アイドル」でいてくれているのです。
ハッピーエンドの恋じゃなくても…
リサによると、シンドウ教官は決してふたりの未来に希望を持たせるようなことは言わなかったといいます。またリサが距離を置き始めたときも、理由を察したかのようにスッと呼応してくれたようです。
ひと回り年上のオトナとして、ふたりの関係の着地点が彼には見えていたのでしょう。
いくら気持ちが通じ合っていても「付き合う」こと、「密接につながり続ける」ことが最良の関係というわけではないのかもしれません。
どんな恋も、時が経てば「思い出」になるものですが、もしもその恋が最終的に叶わないものだったとしても、人生における一種のスパイスとなり、いずれ素敵な思い出になるような関係を築けていけたらいいですね。
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